なぜ今、スタートアップの知財を語るのか
スタートアップに対する知財支援に12年以上携わってきた弁理士が、その変化と限界を振り返る。特許出願は増えたが、「使える特許」は本当に増えたのか。本連載では、創業初期のスタートアップと共に歩んできた2013年からの経験を語る。
「スタートアップ」という言葉
「スタートアップ」という言葉が日本で市民権を得たのは、いつ頃のことだろうか。
2013年、私がある旧友から発明の相談を受けたとき、その言葉はまだ存在しなかった。スタートアップは「ベンチャー企業」と呼ばれ、知財といえば大企業・研究機関のものだという認識が業界の常識だった時代だ。弁理士の仕事といえば、大手企業の特許出願を淡々とこなし、出願から5年後、10年後に起きる特許紛争では弁護士がこれを代理して戦う—そういうものだった。
それから12年以上が経った今、状況は表面的には大きく変わった。「スタートアップ」という言葉は広く使われるようになり、特許庁はスタートアップ向けの支援策を矢継ぎ早に打ち出してきた。スタートアップが資金調達の場で知財ポートフォリオを問われることも珍しくない。日本経済新聞が「スタートアップ、知財重視に 大企業の協力得やすく」と大きく報じたのは2019年2月のことだ。「知財は重要だ」というメッセージは、今やエコシステム全体に行き渡っているように見える。
消えない問い
しかし私には、10年以上消えない一つの問いがある。
「スタートアップは、特許を本当に活用できているのか。」
2016年12月、私は日本で初めてスタートアップが原告となった特許訴訟を担当した。その事件は業界に大きな衝撃を与えた。あれから約10年、スタートアップが自らの特許権を武器に市場を守り、あるいは事業の競争優位を確立したという話が、果たして何度、業界で語られてきただろうか。
特許出願の件数は増えた。知財を意識する創業者も増えた。だが「使える特許」が生まれるようになったかというと、私には疑問が残る。2025年に弁理士森田裕と森田・大谷特許事務所を設立し、私は一つの区切りを迎えた。六本木通り特許事務所を独立開業した2017年からの8年間、そしてスタートアップとの出会いに遡れば12年以上の実践がある。この蓄積を、一度、言葉にしておきたい。数か月をかけて、当時から現在までを振り返りながら、スタートアップの知財について投稿していく。
こんな方々に読んでほしい
この投稿を読んでほしい人は三種類いる。
一つ目は、スタートアップのCEO・CTO、そしてこれらの人を支える社内の法務・知財責任者。「知財はいつかやること」リストに入れているすべての人に、今すぐ始めるべき理由と具体的な思考の枠組みを届けたい。知財を後回しにするコストは、気づいたときには取り返しがつかないほど大きくなっている。
二つ目は、VCなどの投資家。投資先の知財を評価する視点と、知財がスタートアップの競争優位にどう結びつくのかを、実例とともに整理したい。
三つ目は、知財実務を志す弁理士・弁護士・学生。スタートアップの知財という領域が、いかに高度で、いかにやりがいのある仕事であるかを伝えたい。大企業の量産型出願とは全く異なる思考の深さと、創業者の夢に直接関わる醍醐味がそこにある。
2013年の春から始まる物語
第1章では、2013年の春に私がスタートアップの世界に踏み込むことになった経緯を語る。ローンチとともに大々的にメディアに取り上げられるプロダクトの中核機能について特許出願する機会を得て、世の中を動かす発明を肌で感じた。出願してすぐに意味をもつ特許に初めて携わった—この体験が、それまでの特許実務への認識を根底から覆した。
著者
大谷 寛(Kan Otani)
弁理士 / 森田・大谷特許事務所共同設立者
2013年よりスタートアップのための知財形成に取り組み、freee、ソラコム、ジグザグのIPO企業を含む多数のスタートアップの特許出願を手がける。慶應義塾大学理工学部卒、ハーバード大学大学院修士(応用物理学)。2020年第1回IP BASE AWARDグランプリ受賞。IAM及びManaging IP選出の日本を代表する特許専門家。