スタートアップに弁理士が投資する-特許と事業の距離を縮めるための実験 第4章 |スタートアップ知財の12年

特許は本当にスタートアップの参入障壁になるのか

参入障壁とは何か

特許権を取得すれば本当に参入障壁—moat—になるのか?残念ながら、多くの場合はならない。

なぜそうなのかを語るには、まずスタートアップにとって参入障壁とは何かから整理する必要がある。

ファーストムーバーであるスタートアップは、顧客に受け入れられるか否か不確実な状況でリスクを取って開発を行うことで独自の価値を提供する。独自の価値を優位性として顧客に知ってもらい、選んでもらうことで事業が成長する。

しかし、コピーキャットは必ず現れる。なぜならば、顧客受容性があることが検証された後に参入すれば、リスクを取らずに類似プロダクトを提供できるからである。情報は一般に自由に流通するものであり、ファーストムーバーの動向を知って追従することは企業行動として投資対効果が高く、合理的である。

こうした模倣に対して何ができるか?その打ち手が参入障壁だ。

競合が追い付けないスピードで開発を進め、顧客に対する提供価値をいち早く高めていく。表面的にはコピーできてもオペレーションの細部までは模倣できず、顧客の満足度で優位に立つ。顧客に深く入り込み、スイッチングコストを高め、後から模倣しようとしても入る隙を与えない。

このように企業が獲得し得る模倣困難性を挙げていくと5つもない。多くても10個だ。moatとしてこうした模倣困難性を獲得する一つの手段として、特許がある。築いた優位性を権利として固定することで模倣困難性を生み出すことに特許の意義がある。

ところが、特許は多くの場合、この役割を果たさない。

なぜ多くの特許は参入障壁にならないのか

その理由は、事業という「森」を見ることなく、技術という「木」の権利化に留まっているからだ。

特許制度は、これまでにない新たなコンセプトを評価して権利を付与する。そのため、プロダクトで用いられる技術の詳細を発明として捉えれば、従来の技術とは容易に区別され、審査を通過することができる。

だが、技術の詳細に入れば入るほど、代替技術を許容する余地が大きくなり、競合は必ずしも特許権が付与された技術を採用しなくても、同様の機能を顧客に提供することができてしまう。技術の詳細に最大限入らずに、顧客に対する提供価値の実現手段を幅広くカバーするコンセプトを発明として権利化することで初めて、競合は同様の価値提供を行うことが制約されることになる。

大企業のように数百、数千の特許出願をして、後に紛争が生じた際に「使える」特許を選ぶという方法がとれないスタートアップにおいては、「技術」ではなく「事業」に力点をおいて、事業を構成する提供価値の独占を可能とする発明を権利化しなければならない。

事業には複数の提供価値があるので、それらを独占する特許を1つ2つと重ねることで参入障壁は高くなっていく。

弁理士の報酬体系という壁—なぜ「事業」に向き合えないのか?

しかし、多くの場合、顧客が弁理士に特許の相談をする際には「これは特許になりそう」という観点で情報を整理して伝える。もちろん、自社の独自性を高めるかもしれないという期待をもって相談に至っているだろう。それでも、いざ特許の議論になると往々にして特許になるか否かが中心となってしまう。

弁理士としても、特許出願時にいくら、審査への対応でいくら、特許権が成立していくらというように、出願を行い権利化に結び付けて対価が得られるという報酬体系になっていることが多い。その結果、「そもそも出願すべきは顧客が最初に説明した技術ではない」「事業全体という『森』を見渡せば本来権利化を試みるべき『木』はそれではない」「審査は通せるとしても技術の詳細に入りすぎていて他社事業に対する制約にならない」こうした検討は、旧来の報酬体系では金銭的には不利益にしかならない。

本当に今出願しようとしている発明は顧客の事業に価値をもたらすのか。

この問いに正面から向かい合えば合うほど、対価の発生しない相談が増えてしまう。

問題はインセンティブ設計だった。本来弁理士がすべき仕事に向き合うことができるインセンティブ設計になっていないという構造的な問題に私自身直面していた。

時間給も顧問契約も問題を解決しなかった

まず、私が変えたのは、手続単位の固定額という報酬体系だ。固定額とするものも残しつつ、検討時間に応じた時間給に変えた。これによって、特許出願を実行するか否か、特許権が成立するか否かにかかわらず、顧客の事業にとって価値をもたらす発明はなにか、特許出願をすべきなのか、あるいはしなくてよいのかといった本質的な業務に向き合うことが可能になった。

それでも、顧客は特許の話をしたいのであって、特許になるか否かが知りたい、特許権を成立させたいという歪みを正すことにはならなかった。なにかが足りなかった。

私は顧問契約を試した。

月数時間の定例会議を固定額で開催することで必ずしも特許出願を前提とせずに開発中の機能について伺ったり、時には商標の相談に乗ったり、それまでよりも広がりのあるコミュニケーションをする機会が増えた。しかし、毎月何かしら問題が発生して相談が絶えない弁護士の顧問契約とは異なり、常に発明は生まれるわけではなく、顧問契約は形骸化してしまう例が少なくなかった。

私の力不足といえばそれまでだが、新たな開発の進捗がない中で、弁理士に事業の状況、事業の戦略を話す必要性を感じてもらうことは困難だった。

ただ、特許出願の件数が増えていくと審査対応等につき毎月判断が必要になり、定例会議が機能しやすくなることはある。

株主として弁理士のインセンティブを揃える—ジグザグへの出資

弁理士がスタートアップの株主になる

技術だけを見ていてはならず、事業の構造を理解し、模倣困難性を高めるパズルのピースとして特許出願を埋め込む。理論としてはクリアに見えていても、上手くいかないことが多かったこの時期に、第3章で語った越境EC支援のジグザグへのシードラウンドでの出資が転換点となる。

事業計画、開発状況、起業家の目指す未来。外には出せない会社の内情まで含めて、これまで知りたかったすべてが株主として与えられた。事業と特許のあいだの距離が縮まった瞬間だった。

スタートアップとしても、自ら出資した株主が価値を生まない特許出願を勧めるとはおもうはずがなく、模倣困難性を生み出す重要な取り組みとして一緒に向き合ってくれた。

開発前のプレゼン資料しかないときに初めて話を聞き、魂を込めて書いた特許出願は、ジグザグの上場までのプロダクトの根幹を支える特許権として結実した。

4人のエンジェル投資家—シードラウンドの文脈

このシード投資には、特別な文脈があった。

第2章で紹介した海老根さんを含む、4人のエンジェル投資家がジグザグのシードラウンドに参加していた。

川田尚吾さんはDeNAを南場智子氏と共同創業し、スマートニュース・ウォンテッドリーへの投資でも知られる著名なエンジェル投資家だ。杉山全功さんはザッパラス・enishの2社を代表取締役として東証一部に上場させた「上場請負人」。松本浩介さんもIPO経験豊かなプロフェッショナルなCFOで、杉山さんの盟友として同じくザッパラス・enishの上場を支えた人物だ。

事業の将来性を見抜く力と上場を実現させる経営の力——突出した力を持つ4人が揃ったシードラウンドに、海老根さんが私を引き込んでくれた。

「二度とあるか分からないチャンスを必ずものにしなければならない」

効率を度外視して没頭した経験が私を成長させ、事業の言葉で発明を語ることへの不安を払拭してくれた。

六本木通り特許事務所の設立—スタートアップへのエクイティ関与の実験を深める

2017年、私は独立して「六本木通り特許事務所」を設立した。六本木という地は、当時スタートアップと投資家が集まるエコシステムの象徴でもあった。そこに常にいるというメッセージを込めた命名だ。

独立は、自らのポジショニングを明らかにし、顧客に対して独自の価値を提供するための選択だった。同時に、スタートアップのような大きな成長を急速に遂げるものではないものの、起業家に少しでも近づき、信頼を勝ち取りたいという意思の表明でもあった。信頼がなければ、顧客は事業について話してくれない。

独立後、ジグザグに続いて2019年までに2社のスタートアップへの出資を行い、1社はストックオプション(SO)を報酬として支援した。

同じ時期、特許庁の調査研究委員会委員として「ベンチャー投資家のための知的財産に対する評価・支援の手引き」の作成に携わった。ベンチャーキャピタルの視点から知財支援を体系化する議論を通して、投資家が肯定的に評価する知財の在り方の理解を深めた。

私自身の投資の結果は、期待通りに進んでいるものも、そうでないものもある。

エクイティで関与すれば、弁理士とスタートアップのインセンティブは強制的に揃う。とはいえ、出会うスタートアップのすべてが当然それを求めているわけではないし、弁理士が個人として出資できるラウンドの時期を過ぎていることも多々ある。

実際にエクイティをもっているかとは別に、株主であるかのような視点で事業の成長に真摯に向き合う姿勢が伝われば、スタートアップも自らの事業の状況を話してくれる—そして、技術の枝葉ではなく、事業の核に関わる発明と出会うことができるということをこの時期の経験は教えてくれた。

ただ、株主ではなく、外部の専門家としてスタートアップの信頼を勝ち取るには、特許権の成立に向けた個々の取り組みにおいて、事業の成長のために行うものであることを丁寧に言語化し、説明を重ねていく必要がある。そのために私が行っていることも本連載の中で紹介する。

スタートアップからすれば、どのような姿勢の弁理士を選ぶとよいかということになる。これについては、CNET Japanの特集記事「どうやって弁理士を選んだらいい?」—スタートアップのための「特許なんでも相談室」—で紹介している。


次の投稿では、番外編として、freee v. MF訴訟—日本初のスタートアップ原告特許訴訟—について、評価を入れずに当時の反響を記録として紹介する。

「スタートアップ知財の12年」は、2013年のfreeeとの出会いを原点に、スタートアップの知財に12年以上向き合ってきた弁理士が、その実践と問いを語る連載です。

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著者

大谷 寛(Kan Otani)
弁理士 / 森田・大谷特許事務所共同設立者
2013年よりスタートアップのための知財形成に取り組み、freee、ソラコム、ジグザグのIPO企業を含む多数のスタートアップの特許出願を手がける。2025年に森田・大谷特許事務所を設立し、生成AIを活用した知財実務の高度化に注力している。慶應義塾大学理工学部卒、ハーバード大学大学院修士(応用物理学)。2020年第1回IP BASE AWARDグランプリ受賞。IAM及びManaging IP選出の日本を代表する特許専門家。

誇りとする3つの仕事-発明の価値は特許の書き方で決まる 第3章 |スタートアップ知財の12年

特許はどう作られ、事業の成長を支えるのか

弁理士という仕事を長く続けていると、「技術的に高度な特許を数多く書いた」という実績より、「この権利は確かに事業を支えた」という手応えの方が鮮明に残る。特許の価値は、説明を受けた発明を理解するだけでは決まらない。依頼者の事業と向き合い、その構造を理解し、優位性を強化する発明として捉え直す—その書き方の巧拙が、5年後、10年後の事業の景色を変える。

この章では、私が特に誇りとする3つの仕事を振り返る。ソラコム、カケハシ、ジグザグ—それぞれの特許がどう作られ、事業の成長をどう支えてきたのか。

ソラコム—プラットフォームの設計思想を権利にする

株式会社ソラコムは、IoT向けの通信プラットフォームを提供する日本発のスタートアップだ。2014年11月の創業後、2015年9月にIoT通信プラットフォーム「SORACOM Air」の提供を開始。2017年にKDDIが子会社化し、その信用を得て契約回線数を600万超にまで拡大した後、2024年3月に東京証券取引所グロース市場へ上場した。大企業の傘下で力を蓄えてから株式を公開する「スイングバイIPO」の先例として広く注目を集めた。

私が手掛けたのは、SORACOM Airの設計思想を捉えた基本発明に関する特許出願だ。出願日は2015年6月—サービスの提供開始三か月前になる。

個別機能のアーキテクチャからの分離

IoTの通信は、携帯電話キャリア(MNO)のネットワークに接続するゲートウェイを経由する。このゲートウェイは1台数億円の高価なハードウェアであり、キャリアが接続できる台数を制限している。さらに、暗号化やプロトコル変換などの機能をゲートウェイに載せれば載せるほど、同時に接続できるデバイスの数が減る。無数のデバイスをつなぎ、かつリッチな機能を提供する—IoTの本質的な要求は、従来のアーキテクチャでは両立しなかった。

ソラコムの設計思想は、この制約を根本から覆す。ゲートウェイを、キャリアとの接続を担う薄いルーティング層と、データ処理を担うクラウド上のインスタンス群に分離する。ルーティング層はヘッダの書き換えと転送に徹して同時接続数を最大化し、処理層はクラウドの弾力性を活かして必要なだけスケールアウトする。

この設計思想を特許として権利化するとき、暗号化やスループット制御といった個々の機能を請求項に書くのでは足りない。それらはクラウド側の処理層が行う仕事の「例」にすぎないからだ。押さえるべきは、ゲートウェイを二層に分離し、スケーラビリティをクラウドに委ねるというアーキテクチャそのものだ。特定の実装ではなく、その実装を貫くプラットフォームの設計思想自体を請求項に落とし込む—これが、ソラコムの特許で私が追求した仕事だ。

国境を越えて

この特許は日本だけで完結するものではない。米国・欧州・中国にまたがる国際的なポートフォリオとして権利が形成されている。米国では、2017年12月の国内移行から2回のRCEを経て2022年4月に望むかたちで権利化に成功した。国ごとの審査実務の違いを踏まえてぎりぎりの調整が求められたが、国境を超える参入障壁を形成した。

2026年の今、ソラコムはグローバル売上が全体の4割を超え、日本市場の5倍以上の規模を持つ米国での事業を急速に伸ばしている。その礎に、2015年の出願から粘り強く築いてきた国際特許ポートフォリオがある。

カケハシ—業務オペレーションをビジネスモデル特許に

株式会社カケハシは、電子薬歴「Musubi」をはじめとする薬剤師向けの業務支援ツールを手がける2016年3月創業のスタートアップだ。第2章で述べた論文執筆・CNET連載でスタートアップのエコシステムにおける認知が広がる中、紹介を通じて出会った一社だ。

薬局には、長年解消されない構造的な非効率があった。薬剤師は患者への服薬指導の後、説明した内容を紙にメモし、残業時間に電子薬歴システムへ転記する。この薬歴記載の負担が、本来患者と向き合うべき時間を圧迫していた。

カケハシの発明は、この問題をソフトウェアによるオペレーションの刷新で解決する。薬剤師がタブレットで患者に処方薬を示しながら、実際に説明した内容を画面上で選択していく。選択が終わると、対応する薬歴が自動的に生成される。ここで鍵になるのは、患者に見せる説明と薬歴に記録される内容が別物であるという設計だ。患者にはわかりやすい口語で、薬歴には医学的な表現で—この二重構造により、説明行為そのものが記録行為になる。

言葉にすればそれだけだ。しかし、「それだけ」が発明だった。

製品化前の出願

この発明に関する特許出願は、創業から7ヶ月後の2016年10月に行われた。Musubiのリリースは翌2017年8月—製品はまだ形になっていなかった。

なぜ製品化前に出願したのか。カケハシの中川貴史COOは、この出願について「ビジネスモデル自体を特許として出願し、競合他社の参入を阻む」ものと報じた日本経済新聞(2019年2月4日)の取材にこう答えている。

「製品化前のアイデアを特許で押さえないと、大手に参入された場合に資金力と販売力で負ける」

その前にプロダクトの核心部分を権利で押さえておく。資金力で勝てなくても知財という武器を一早く確保することは可能だ。

2018年に特許権が成立した。Musubiはその後も成長を続け、導入薬局数は2022年に6,000店舗、2025年には14,000店舗を突破—全国の薬局の5分の1以上がMusubiを使っている。累計資金調達額は280億円を超え、2025年6月のシリーズDではゴールドマン・サックスがリード投資家として参画した。

「業務工程のデジタル化」は、あらゆる業界のスタートアップが取り組んでいることだ。医療、物流、建設、教育—アナログな業務をデジタルに置き換えるプロダクトは無数にある。それらの多くに、カケハシと同じ構造の発明が眠っている可能性がある。当たり前と予断することなく、起業家が生み出した新たなコンセプトを言葉にするのだ。

ジグザグ—ピボットを超える特許を書く

株式会社ジグザグは、2015年6月に創業した越境EC支援のスタートアップだ。創業からわずか2ヶ月後の同年8月に特許出願を行った。

日本国内には約15兆円のEC市場がある。国内ECサイトへの海外アクセス比率は2〜4%—金額にして3,000億〜6,000億円規模の「買えていない体験」が存在する。海外からのアクセスがあっても、多くのECサイトは海外配送に対応していないため、その流入を売上につなげられない。言語、決済、物流—越境ECの三つの壁がそこにある。

ジグザグは2016年4月に越境ECサービス「Worldshopping.global」をリリースした。ECサイトの商品データを連携し、WorldShoppingドメイン上に多言語ECサイトを開設するモデルだ。しかし、導入企業側の開発ハードルがあり導入数は伸び悩んだ。

2016年11月、ジグザグはモバイル・インターネット・キャピタル(MIC)から資金調達を行う。この投資は、第2章で紹介した元木新さんが主導した。製品の立ち上がりが鈍い中でも、出願済みの特許は越境ECという新興領域におけるジグザグの独自性を裏付けて、ベンチャーキャピタルの信頼を勝ち取る材料となった。

BIZへのピボット

転機は2017年8月、ECサイト向け越境EC支援ソリューション「WorldShopping BIZ」へのピボットだ。ECサイトにJavaScriptタグを1行追加するだけで、海外ユーザーにだけジグザグのカートが出現する。ECサイト側の開発負担はゼロ—この手軽さで一気にショップ数が拡大し、流通額が上がり始めた。

BIZのメカニズムはこうだ。ECサイトの商品ページにアクセスしたユーザーのIPアドレスから所在国を判定し、その国への配送が可能な場合に購入ボタンを表示する。ボタンをクリックすると、ECサイトとは別のサーバ—ジグザグの代理購入サーバ—が提供する購入ページに商品情報が転送される。ECサイト上での購入体験を保ちつつ、越境ECに必要な機能を外部サーバに切り出している。

所在国の判定、配送可否による表示制御、異なるサーバへの転送—個々の技術要素をみれば、これが特許になるのだろうか?そう感じる人も多いだろう。しかし、これらを未解決の課題解決に向けて組み合わせることで生まれるユーザー体験が発明なのだ。

明細書の射程

注目すべきは、この特許が出願された2015年8月の時点で、WorldShopping BIZはまだ存在しなかったということだ。出願時に想定されていたのはWorldshopping.globalのモデルだった。しかし、明細書には、ボタン、バナー、チャットウィンドウなど、ECサイトから代理購入サーバにデータを転送する多様なバリエーションが書き込まれていた。2017年のピボットでBIZモデルが生まれたとき、その仕組みは既に明細書の中にあった。スタートアップの事業はピボットする。だからこそ、特許出願の時点でどれだけ幅広く未来のバリエーションを書き込めるか、そこに魂を込める必要がある。

ジグザグはその後、取扱高を年平均40%超のペースで伸ばし、2024年5月期には売上高11億円、取扱高49.9億円に達し、2025年3月、東京証券取引所グロース市場に上場した。WorldShopping BIZのUXを支える発明は、米国においても権利化されている。

エンジェル投資の覚悟

なぜ、私はこの特許にそこまで注力することができたのか。実は特許出願の16日前、私はエンジェルラウンドでジグザグの株式を取得していた。弁理士報酬を受け取る立場ではなく、自ら出資して株主になった上で明細書を書いた。事業の成否が自分の投資の成否でもあるとき、明細書に書くバリエーションの一つひとつが、他人事ではなくなる。

三つの仕事を振り返ると、第2章で述べた参入障壁・武器・信頼—特許権の3つの機能が、それぞれ働いた。ソラコムでは、設計思想を抽象化した請求項が国境を超える参入障壁となった。カケハシでは、製品化前に確保したビジネスモデル特許が将来の武器となった。ジグザグでは、明細書に書き込んだ未来のバリエーションがピボットを乗り越え、ベンチャーキャピタルの信頼を勝ち取る材料となった。

特許出願は、資金調達と同じように不可逆の行為だ。その時にしかできない出願がある。その書き方が事業のその後を左右する。しかし、そのためには依頼者と弁理士が同じ目的を目指し、特許出願を優先度の高いものとして捉える必要がある。

ジグザグへの出資は、この問題に正面から向き合うきっかけでもあった—第4章では、スタートアップにエクイティで関わる弁理士という新たなモデルについて語る。

「スタートアップ知財の12年」は、2013年のfreeeとの出会いを原点に、スタートアップの知財に12年以上向き合ってきた弁理士が、その実践と問いを語る連載です。

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著者

大谷 寛(Kan Otani)

弁理士 / 森田・大谷特許事務所共同設立者

2013年よりスタートアップのための知財形成に取り組み、freee、ソラコム、ジグザグのIPO企業を含む多数のスタートアップの特許出願を手がける。2025年に森田・大谷特許事務所を設立し、生成AIを活用した知財実務の高度化に注力している。慶應義塾大学理工学部卒、ハーバード大学大学院修士(応用物理学)。2020年第1回IP BASE AWARDグランプリ受賞。IAM及びManaging IP選出の日本を代表する特許専門家。

弁理士が投資家の言語を学んだ理由-特許出願を見つめ直した3年間 第2章 |スタートアップ知財の12年

freeeが突きつけた問い

freeeのローンチ前日に行った特許出願は、私に一つの問いを突きつけた。いかにスタートアップにとって意味のある特許を手にしてもらうか、いかに特許をスタートアップの事業に結びついたものにできるか—しかし起業をしたことも事業を立ち上げたこともない自分にとって、この問いに応えることは難題だった。

まず手に取ったのは経営戦略書だった。W・チャン・キムとレネ・モボルニュの『ブルー・オーシャン戦略』、ピーター・ティールの『Zero to One』、そして数年間購読したハーバード・ビジネス・レビュー。スタートアップがどのように競争優位を生み出し、それをいかに守るか—特許の問いを事業の言語で考えるための羅針盤を少しずつ手に入れていった。

研鑽を積む中で、一通のメールが届いた。MIC(モバイル・インターネット・キャピタル)の元木新さんだ。

元木さんは、私の依頼者の一社に対する出資者で、その会社の特許出願を通じて間接的に繋がっていた。後にForbes JAPAN「日本で最も影響力のあるベンチャー投資家ランキング」に選出されるキャピタリストだ。

元木さんから投資家として行っている業務を聞き、そこにいかに特許出願を織り込んでいくかを議論した。VCがスタートアップに対して行う支援の中で、知財はどう位置づけられるべきか。その中で徐々に、スタートアップに必要な知財支援のかたちが見えてきた。

スタートアップの知財に光を当てた日本初の論文

元木さんとの議論をきっかけに、一本の論文を執筆した。パテント誌2014年5月号に掲載された「スタートアップの特許出願を巡る諸問題—現実とベストプラクティス」だ。

当時、スタートアップという概念自体がまだ日本では広く知られていなかった。知財の世界では「中小・ベンチャー」という表現で中小企業支援と一括りにされていた。しかし、スタートアップ固有の事情—急速な成長速度—に十分な光が当てられてこなかったことが、特許制度がスタートアップのイノベーションを下支えできていない大きな要因だと私は考えた。

この論文で私が提示したのは、ステージごとの特許戦略というフレームワークだ。その核心は、今やるべきことと後で取り組めばよいことを区別することにある。

シードステージでは、取り組む事業が新しい限り、極論すれば、他社特許の調査は不要だ。調査に費用を割り当てるのならば、事業の核となる発明について特許出願を行う費用とした方が費用対効果が高い。一方で、プロダクトのリリース後1年以内には、事業の変化・競合の出現などの環境変化を踏まえて、出願した発明をその発明の狙いである事業の実態に合わせて見直す必要がある—特許制度にはそのための仕組みがある。

この見直しを怠ると、事業がピボットしたら特許の範囲と合わず、「使えない特許」が生まれる。見直しは必要であるものの、特許庁の審査を経て権利を成立させるのは資金調達後のアーリーステージでもよい。審査の基準は出願時だから、今権利化しても後で権利化しても、理論的には結論は変わらない。こう切り分けることで、限られたリソースのスタートアップでも現実的に特許出願に取り組むことができる。

スタートアップの特許出願を直接的に取り上げた論文は、調べた限りで見当たらなかった。日本初の論文を出せる—それは、スタートアップの特許支援という独自のポジショニングの可能性を感じさせた。

2015年5月には、二本目の論文をパテント誌に発表した。「スタートアップの競争優位における特許出願の役割」だ。

一本目の論文がステージごとの実務を整理したのに対し、二本目ではより本質的な問いに踏み込んだ。なぜスタートアップに特許が必要なのか—スタートアップの競争優位が生み出される条件を理論的に整理した上で、そこで特許出願が果たすことのできる役割を明らかにする試みだ。

主張の趣旨はこうだ。スタートアップを含めて企業の競争優位は、競合に対する非対称性—模倣困難な差異—によって支えられる。模倣可能であれば、体力のある大企業に追従されて無力化されてしまう。特許権の取得は、競合が採り得る手段を減らし、この非対称性を高める。これは空港の発着枠に似ている。他社に付与された発着枠の外で運航計画を立てるしかないのと同様に、他社に付与された特許権という柵の外でプロダクトを提供するしかない。

ただし、シード・アーリーステージのスタートアップには、特許権を行使するための資金的余力がない。ここで重要なのは、必ずしも今、特許権を行使するわけではないということだ。権利行使に多額の資金を要しても、権利取得に要する資金ははるかに少額である。将来的に競争が激化したとき、それまでに成長していれば、自ら権利行使することも、提携企業に権利行使を委ねることもできる。つまり、特許権は、成功した未来に力を発揮する武器なのだ。

そして、そのような武器をもっているということ自体がレバレッジとなって、ステークホルダーの信頼を高め、成長を加速する。

アマゾン1クリック特許—売上1%の企業が市場リーダーを差し止めた事例

この論文では、アマゾン・ドット・コムの事例研究も行った。売上高がバーンズ&ノーブルの1%程度だった1999年、アマゾンは1クリック特許を武器にバーンズ&ノーブルの類似機能を差し止め、クリスマス商戦で決定的な優位を確立した。特許の成立から差止仮処分までわずか3ヶ月—売上1%の企業が、体力差を特許で覆した。米国書籍市場のマーケットリーダーが仕掛けた同質化戦略、すなわち、他社の独自性を模倣する商品・機能を提供して同質化してしまう戦略を特許権の行使により排除した歴史的な事例である。

スタートアップにとっての特許権—3つの機能:

1. 参入障壁の構築 — 特許権は空港の発着枠と同じだ。競合他社は、自社に付与された特許権という柵の中に入れない

2. 将来の武器の確保 — 権利取得の費用は権利行使の費用より遥かに少額。今すぐ行使できなくとも、成功した未来に力を発揮する武器を今、確保できる

3. ステークホルダーの信頼獲得 — 特許ポートフォリオの存在は、資金調達のDD・業務提携の交渉において、競争優位を客観的に示す証左として機能する

JVCA研修・NTVPセミナー—VCの視点を学ぶ

論文の執筆と並行して、投資家の世界を体系的に学ぶことにも取り組んだ。折しも、日本のスタートアップ投資は急速に活況を呈していた。2013年前後から独立系VCへの資金流入が本格化し、VC投資額は数年のうちにリーマン後の低迷期の500億円から1000億円、そして2500億円へと回復・急成長した。事業法人による投資額も400億円から700億円、1500億円と加速した。スタートアップへの注目は、期せずに時流に乗ったものとなっていた。

2015年6月に日本ベンチャーキャピタル協会(JVCA)主催のベンチャーキャピタリスト研修を受講した。この研修では、ファンドの仕組み、バリュエーション手法、投資契約などの理解を深めた。2016年5月には、日本テクノロジーベンチャーパートナーズ(NTVP)主催の第8回ベンチャーキャピタリスト養成セミナーにも参加した。NTVPを率いる村口和孝氏は、日本初の独立系VCを設立し、創業間もないDeNAへのシード投資で知られるベンチャーキャピタリストだ。

こうして私は、投資家がスタートアップを評価する視点を知り、特許をスタートアップの文脈で説明できるようになった。それとともに、特許をスタートアップの時価総額の算定に反映して、定量的にその価値を評価することの難しさも知った。

名刺代わりの論文からCNET連載「スタートアップのための特許講座」へ

一本目の論文は、文字通り名刺代わりになった。「スタートアップの特許支援に取り組んでいる専門家がいる」—そういう認知が、思いがけない出会いを連れてきた。

朝日インタラクティブ株式会社でCNET Japanの編集記者を務める藤井涼さんとの出会いも、その一つだ。論文のことを聞いた藤井さんから「一度、記事を書いてみませんか」という提案をいただいた。2015年2月のことだった。書いてみると、反響は思いのほか大きかった。スタートアップと特許という交差点に関心をもつ読者が確かにいた。その反響を受けて連載「スタートアップのための特許講座」へと発展した。記事は毎回、CNETのトップページに掲載された。

連載は、投資家・起業家との新しい出会いのきっかけとなった。スタートアップの競争優位に特許は使えるのではないか?と関心を持つ人たちと繋がる回路が少しずつできていった。

オプト創業者・海老根さんとの出会い

論文とは別の経路で、もう一つの出会いがあった。

当時のある依頼者が、海老根智仁さんを顧問として迎えていた。海老根さんは、インターネット広告の黎明期に株式会社オプトを東証一部上場企業へと育て上げ、代表取締役社長CEOを務めた後、エンジェル投資を行っていた人物だ。代表例として、RTB(Real-Time Bidding)技術でデジタル広告市場を変えたフリークアウト・ホールディングスへの初期投資がある。2014年の東証マザーズ上場時には第2位株主として名を連ねた。

あるとき、その依頼者のCEOが海老根さんへの報告の中で「今、弁理士に相談して特許出願の準備をしている」と話したところ、海老根さんは「一度会いたい」と言ったという。こうして私は、当時の勤務先であった大野総合法律事務所の会議室で、初めて海老根さんと顔を合わせた。

アップルとサムスンが世界の法廷を舞台に繰り広げた史上最大規模の特許訴訟でサムスンチームの一員として特許の本来の力を目の当たりにしていた私は、スタートアップの性質を正しく理解した上でこれまでの紛争経験を注ぎ込めば、スタートアップの限られたリソースでも十分に価値を出せるという想いをぶつけた。そしてそれがさまざまな企業に投資し、自らも企業を成長させてきた海老根さんの琴線に触れた。この出会いがその後、多くの縁をつないでくれた。

この3年間で、特許を事業の言語で語れる弁理士というポジショニングが輪郭を持ち始めた。投資家の視点を学び、論文を書き、CNET連載で認知を広げ、海老根さんという伴走者を得た。freeeの出願は一度限りの幸運ではなく、再現できる—そうおもえるだけの地図を、ようやく手に入れた。

この地図をもとに、私はスタートアップの特許に本気で向き合い始めた—第3章では、この過程で出会ったスタートアップの中から、特に誇りとする仕事を振り返る。

「スタートアップ知財の12年」は、2013年のfreeeとの出会いを原点に、スタートアップの知財に12年以上向き合ってきた弁理士が、その実践と問いを語る連載です。

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著者

大谷 寛(Kan Otani)

弁理士 / 森田・大谷特許事務所共同設立者

2013年よりスタートアップのための知財形成に取り組み、freee、ソラコム、ジグザグのIPO企業を含む多数のスタートアップの特許出願を手がける。2025年に森田・大谷特許事務所を設立し、生成AIを活用した知財実務の高度化に注力している。慶應義塾大学理工学部卒、ハーバード大学大学院修士(応用物理学)。2020年第1回IP BASE AWARDグランプリ受賞。IAM及びManaging IP選出の日本を代表する特許専門家。

出願翌日に意味を持つ特許-freeeとの出会い 第1章 |スタートアップ知財の12年

旧友からの一本の連絡

2013年2月26日、一本のメッセージが届いた。送り主は佐々木大輔、高校時代の友人だ。

クラウド会計サービスを作っている。特許のことを相談したい。

それだけの短いメッセージだった。当時の私は、谷・阿部特許事務所、アンダーソン・毛利・友常法律事務所を経て、大野総合法律事務所で特許訴訟に明け暮れる日々を送っていた時期だ。2012年頃からベンチャー企業の特許出願を受任することはあったが、「スタートアップ」というものを明確に意識した経験はまだなかった。それは私だけではない。当時、スタートアップの知財を本業とする弁理士は、日本にいなかった。

旧友の頼みだ。とにかく話を聞こうとおもった。

ホワイトボードを前に、佐々木からプロダクトの説明を受けた。クラウドを使った会計ソフト—それがのちのfreeeだ。社名はまだCFO株式会社だった。

当時の会計ソフト市場は、インストール型のパッケージソフトが支配していた。そこにクラウドベースの全く新しいアーキテクチャで切り込もうとしている。その中核にあったのが、「自動仕訳」という機能だ。銀行口座・クレジットカードの取引データを自動的に取得し、仕訳を推測する—この仕組みには、特許になり得る発明が潜んでいた。

ローンチ前日の特許出願

ローンチは3月19日だと聞いた。3週間弱—少しタイトではあるが、充分に対応できる。

特許の世界は「先願主義」が原則。同じ発明を複数の人が思いついたとき、先に出願した者が権利を得る。そして、プロダクトを公開した後では、原則として新規性を喪失し、特許を取ることができなくなる。ローンチ前に出願を完了させる必要があった。

自動仕訳という中核機能の発明を整理し、出願書類を仕上げた。そして3月18日—ローンチ前日—特許庁に提出した。翌19日、freeeのサービスが正式にローンチされた。ローンチから2ヶ月後の5月には、Infinity Ventures Summit (IVS) 2013 Springの挑戦者の登竜門「Launch Pad」で優勝した。自分が出願書類を仕上げた発明が、その翌日から話題のプロダクトの中核機能として動き始めている手応えは、それまでの出願業務で一度も感じたことのないものだった。

「出願翌日に意味を持つ特許」の衝撃

その後、私はしばらくの間、その体験の意味を反芻し続けた。

それまでの私の出願実務において、出願した瞬間から事業に直結していると確信できる特許など存在しなかった。特許というのは、出願してから審査を経て権利化されるまでに数年かかる。さらに、実際に特許紛争で争われるのは出願からさらに数年後という時間軸の中で機能するものだった。私が関わってきた特許訴訟でも、対象となる特許は軒並み出願から5年から10年経過したものだった。出願した発明がいつ事業に寄与するのか見通せない—特許とは、そういう長期的な賭けだと思い込んでいた。

ところが、freeeの出願は、まったく違う時間軸で動いていた。

出願した翌日にサービスが公開され、ただちにその発明が支える機能が市場で意味を持ち始める。「出願翌日に意味を持つ特許」—それは比喩ではなく、文字通りの現実だった。

この体験は、私の頭の中で何かを根底から覆した。特許は賭けなどではなく、的を狙って作り込むことで事業と密接に結びつき、スタートアップにとって見逃せない意味を持つ—そう気付いた瞬間だった。

「スタートアップ」と出会った当時、私は時価総額数千億円から数兆円の世界的企業の紛争案件に日々携わっていた。1つの特許がこうした企業の事業を止めるという深刻な影響を与え得ることを目の当たりにし、特許の力を肌で知っていた。しかし、同じ大手企業の出願案件では、どうしても事業と特許の距離があった。訴訟案件と比較すれば、出願案件で特許の意義を強く感じる機会は少ない。

freeeの特許出願には、そうした重要案件に匹敵する確かさがあった。スタートアップに対してであれば、特許の本当の力、知財の本当の力を、訴訟案件ではなく出願案件においても届けられるのではないかと心が震えた。

それまでの「常識」が崩れた

特許紛争が生じるとしても、出願から5年から10年経過して初めて問題になるという構造の中で、出願時点の弁理士が、後に自分が担当した案件が紛争になることを真剣に見据えているだろうか。

答えは、必ずしもそうではない。出願は弁理士が担当し、訴訟では弁護士がこれを代理して戦うというのが常識だ。私は訴訟に関わる機会に恵まれたが、この常識を私自身も内面化していた。

その結果として何が起きるか。「自社」のプロダクトの「現在」の仕様だけをカバーする、設計回避が容易な特許が大量に生まれる。競合はわずかな仕様変更で回避でき、権利としての価値はほぼゼロに近い。スタートアップの場合、この問題はさらに深刻だ。経営者はプロダクト開発と資金調達で手一杯で、特許に割ける時間も予算も限られている。「とりあえず出しておく」という出願が積み重なり、いざ使おうとしたときに何も機能しないという結果に陥りやすい。

スタートアップのための知財支援へ

freeeとの出会いは、私にとってその「常識」の外に出るきっかけだった。

スタートアップの特許には、大企業の特許とは全く異なる時間軸と意味がある。彼らはゼロからプロダクトを作り、競合が存在しない市場に最初に飛び込む。その「最初」を記録し、将来の競合参入に備え、投資家に競争優位の持続可能性を示す—そういう目的で特許は機能する。競合は、早ければ半年、一年で現れるため、特許の真価が早期に問われる。

しかも、スタートアップは常に新しい事業を生み出している。新たな事業は原則として新たな発明を生む。発明が生まれる土壌は、スタートアップそのものだ。

問題は、その発明を適切にすくい取る仕組みがないことだ。気づいたときにはすでに公開されており、新規性が失われているという場面を、私はその後何度も目撃することになった。

freeeとの出会いが私に与えたのは、こうした気付きの出発点だった。ここから、私の弁理士としてのキャリアは大きく方向転換した。スタートアップと創業期から向き合い、事業の成長とともに知財を形成していく—そういう仕事の形が、少しずつ具体的なイメージを持ち始めた瞬間だった。

しかし、「出願翌日に意味を持つ特許」の衝撃は、同時に一つの問いを突きつけた。いかに再現性をもってスタートアップにとって意味のある特許を届けるか—次の第2章では、起業経験・事業経験のない弁理士がこの問いに向き合うために踏み出した3年間を語る。

「スタートアップ知財の12年」は、2013年のfreeeとの出会いを原点に、スタートアップの知財に12年以上向き合ってきた弁理士が、その実践と問いを語る連載です。

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大谷 寛(Kan Otani)
弁理士 / 森田・大谷特許事務所共同設立者
2013年よりスタートアップのための知財形成に取り組み、freee、ソラコム、ジグザグのIPO企業を含む多数のスタートアップの特許出願を手がける。2025年に森田・大谷特許事務所を設立し、生成AIを活用した知財実務の高度化に注力している。慶應義塾大学理工学部卒、ハーバード大学大学院修士(応用物理学)。2020年第1回IP BASE AWARDグランプリ受賞。IAM及びManaging IP選出の日本を代表する特許専門家。

なぜ今、スタートアップの知財を語るのか 序章 |スタートアップ知財の12年

スタートアップに対する知財支援に12年以上携わってきた弁理士が、その変化と限界を振り返る。特許出願は増えたが、「使える特許」は本当に増えたのか本連載では、創業初期のスタートアップと共に歩んできた2013年からの経験を語る。

「スタートアップ」という言葉

「スタートアップ」という言葉が日本で市民権を得たのは、いつ頃のことだろうか。

2013年、私がある旧友から発明の相談を受けたとき、その言葉はまだ存在しなかった。スタートアップは「ベンチャー企業」と呼ばれ、知財といえば大企業・研究機関のものだという認識が業界の常識だった時代だ。弁理士の仕事といえば、大手企業の特許出願を淡々とこなし、出願から5年後、10年後に起きる特許紛争では弁護士がこれを代理して戦う—そういうものだった。

それから12年以上が経った今、状況は表面的には大きく変わった。「スタートアップ」という言葉は広く使われるようになり、特許庁はスタートアップ向けの支援策を矢継ぎ早に打ち出してきた。スタートアップが資金調達の場で知財ポートフォリオを問われることも珍しくない。日本経済新聞が「スタートアップ、知財重視に 大企業の協力得やすく」と大きく報じたのは2019年2月のことだ。「知財は重要だ」というメッセージは、今やエコシステム全体に行き渡っているように見える。

消えない問い

しかし私には、10年以上消えない一つの問いがある。

「スタートアップは、特許を本当に活用できているのか。」

2016年12月、私は日本で初めてスタートアップが原告となった特許訴訟を担当した。その事件は業界に大きな衝撃を与えた。あれから約10年、スタートアップが自らの特許権を武器に市場を守り、あるいは事業の競争優位を確立したという話が、果たして何度、業界で語られてきただろうか。

特許出願の件数は増えた。知財を意識する創業者も増えた。だが「使える特許」が生まれるようになったかというと、私には疑問が残る。2025年に弁理士森田裕と森田・大谷特許事務所を設立し、私は一つの区切りを迎えた。六本木通り特許事務所を独立開業した2017年からの8年間、そしてスタートアップとの出会いに遡れば12年以上の実践がある。この蓄積を、一度、言葉にしておきたい。数か月をかけて、当時から現在までを振り返りながら、スタートアップの知財について投稿していく。

こんな方々に読んでほしい

この投稿を読んでほしい人は三種類いる。

一つ目は、スタートアップのCEO・CTO、そしてこれらの人を支える社内の法務・知財責任者。「知財はいつかやること」リストに入れているすべての人に、今すぐ始めるべき理由と具体的な思考の枠組みを届けたい。知財を後回しにするコストは、気付いたときには取り返しがつかないほど大きくなっている。

二つ目は、VCなどの投資家。投資先の知財を評価する視点と、知財がスタートアップの競争優位にどう結びつくのかを、実例とともに整理したい。

三つ目は、知財実務を志す弁理士・弁護士・学生。スタートアップの知財という領域が、いかに高度で、いかにやりがいのある仕事であるかを伝えたい。大企業の量産型出願とは全く異なる思考の深さと、創業者の夢に直接関わる醍醐味がそこにある。

2013年の春から始まる物語

第1章では、2013年の春に私がスタートアップの世界に踏み込むことになった経緯を語る。ローンチとともに大々的にメディアに取り上げられるプロダクトの中核機能について特許出願する機会を得て、世の中を動かす発明を肌で感じた。出願してすぐに意味を持つ特許に初めて携わった—この体験が、それまでの特許実務への認識を根底から覆した。

「スタートアップ知財の12年」は、2013年のfreeeとの出会いを原点に、スタートアップの知財に12年以上向き合ってきた弁理士が、その実践と問いを語る連載です。

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大谷 寛(Kan Otani)
弁理士 / 森田・大谷特許事務所共同設立者
2013年よりスタートアップのための知財形成に取り組み、freee、ソラコム、ジグザグのIPO企業を含む多数のスタートアップの特許出願を手がける。2025年に森田・大谷特許事務所を設立し、生成AIを活用した知財実務の高度化に注力している。慶應義塾大学理工学部卒、ハーバード大学大学院修士(応用物理学)。2020年第1回IP BASE AWARDグランプリ受賞。IAM及びManaging IP選出の日本を代表する特許専門家。

弁理士にできるのに弁理士ができると思っていないこと-参考図書編-

弁理士にできるのに弁理士ができると思っていないことについて、以前書きました。

特許を扱う弁理士は、「解決しようとする課題」と「解決するための手段」という二つの概念を切り口として技術を整理する能力を鍛錬していて、企業がその事業で何を課題としてどのような手段でそれを解決していくのかを考える素地があるのであるから、「技術」という縛りを一旦忘れて、事業に正面から向き合えば、より価値のある貢献をできるという内容です。

以前の投稿では、特許を扱う弁理士について主に述べており、意匠・商標を扱う弁理士については、必ずしもそのまま当てはまるものではありません。しかしながら、意匠出願であれば、どの線を描くか、描くとしてどれを実線にしてどれを点線にするか、商標出願であれば、商品役務をどこまで具体的に記載するか、そして両者に共通して、類比判断の論理構築など、抽象的な概念の操作は出願代理業務における基本動作として共通しており、出願代理業務の経験を重ねることは、弁理士全般にとって、企業がその事業で何を課題としてどのような手段でそれを解決していくのかを概念的に整理して考える素地になると考えます。

未解決の問題

そうは言っても経営に携わったことはないから敷居が高いという声もあります。

この問題、すなわち経営的な経験不足の問題は、知識のインプットで解消可能な性質のものなので、私が読んできて特に有益だったものを参考図書としていくつか挙げてみます。

参考図書

DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー

ハーバードビジネススクールの機関誌『Harvard Business Review』の日本語版で、定期購読しています。時々の経営課題を取り上げた記事が掲載されていて、毎月目を通すことで経営上問題となる事柄、経営者の関心事項等について自分を慣らしていく上でよい機会となります。

スタートアップに対する知財支援に関心のある方には、高宮慎一 (2016)「起業から企業へ:4つのステージの乗り越え方」『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』41巻8号40-55頁の一読をお勧めします。スタートアップのシード、アーリー、ミドル及びレイターという4つのステージについて、各ステージでクリアすべきマイルストーンによって定義がなされ、スタートアップの特徴がコンパクトに纏められています。

今枝昌宏 (2014)『ビジネスモデルの教科書』

「ビジネスモデル」を戦略を支える仕組みとして位置づけ、31例の成功パターンを紹介する。それぞれのパターンについて、実際の会社名を挙げ、競合優位性がなぜ得られるのかが解説されており、優位性が生じる仕組みを幅広く学ぶことができます。筆者自身、有効な戦略を立案するためにはアートが求められ、場数を踏むことが避けられないが、ビジネスモデルの定石を型として身につけることによって、戦略を生み出す力を高めることができると解説しているように、これらのパターンを型として学ぶことで新たな事業についてすみやかに理解し、議論をする基礎となります。

三谷宏治 (2014)『ビジネスモデル全史』

14世紀のメディチ家から2010年代のスタートアップまで、多様なビジネスモデルをストーリー仕立てで読むことができる一冊。DIAMONDハーバード・ビジネス・レビューは月刊であるので幅広い視点を得るには時間を要し、今枝氏の書籍は多数の実例からパターン化しているので一読しただけでは理解が難しいところもあります。この書籍は、まずは幅広くビジネスモデルに触れ、経営の視点を意識する契機になります。

事業目線をもった弁理士となるために、自ら新規の事業を立ち上げた経験が求められるわけではありません。そうした事業を立ち上げ、あるいは経営する方と目線を合わせ、その上で知財の議論をすることができればよい。そうおもえば、基礎的な知識のインプットをしてしまうことで、経験不足の障壁は大幅に低くなるので、是非どれか一冊を手に取るところから始めてみてほしいです。

著者

大谷 寛(Kan Otani)
弁理士 / 森田・大谷特許事務所共同設立者
2013年よりスタートアップのための知財形成に取り組み、freee、ソラコム、ジグザグのIPO企業を含む多数のスタートアップの特許出願を手がける。2025年に森田・大谷特許事務所を設立し、生成AIを活用した知財実務の高度化に注力している。慶應義塾大学理工学部卒、ハーバード大学大学院修士(応用物理学)。2020年第1回IP BASE AWARDグランプリ受賞。IAM及びManaging IP選出の日本を代表する特許専門家。連載「スタートアップ知財の12年」。

事務所ウェブサイト公開

2019年11月1日に2017年1月5日の事務所設立から三年を前にウェブサイトを公開しました。website_PC_screenshot_20191103

投資家、起業家、弁護士、知人からのご紹介を主としてスタートアップとの出会いをいただいてきました。これからもこれまでの大切な方々からのご紹介に向き合っていくことは変わりません。ただ、ご紹介いただく際にウェブサイトがないことでご負担をおかけしてしまっていたかもしれません。また、こういったことも相談できるだろうかとお問い合わせをいただくこともあり、守備範囲が予め分からないことでご紹介いただく際にお手を煩わせてしまったかもしれません。

そうした観点から、弁理士大谷の守備範囲をコンパクトにお伝えするとともにその想い、哲学を一つのウェブサイトに纏めました。ミッションとタグラインの言語化は自ら行いましたが、それを視覚表現として美しくデザインしてくれたデザイナーの力を感じた機会でもあります。

今後とも引き続き宜しく願いいたします。

 

 

プライバシーポリシー

個人情報取扱事業者:弁理士法人六本木通り特許事務所
住所:東京都港区六本木6-2-31六本木ヒルズノースタワー17F
代表者:大谷 寛

1.関係法令等の遵守

弁理士法人六本木通り特許事務所(以下「当事務所」という。)は、個人情報の取扱いにつき、個人情報保護法その他関係法令を遵守いたします。

2.個人情報の収集・利用

当事務所は「3.個人情報の利用目的」に掲げる目的のために、以下の個人情報を収集し、利用することがあります。

  • 氏名、住所、所属、役職、SNSアカウント、電話番号、メールアドレス
  • その他当事務所が提供するサービスのために必要な個人情報

3.個人情報の利用目的

当事務所は、収集した個人情報を下記の目的に必要な範囲内で利用し、その他の目的には利用いたしません。

  • 当事務所が提供するサービスの遂行及びこれに関するご連絡
  • 当事務所が提供するサービスに関する情報提供
  • 当事務所の挨拶状等の送付
  • 当事務所が行う採用
  • その他当事務所の業務の適切かつ円滑な遂行

4.個人情報の安全管理措置

当事務所は、個人情報の漏えい、滅失又は毀損を防止するため、個人情報の取扱いに関する責任者を設置して、個人情報の安全管理のために必要かつ適切な体制を整えるとともに、所員に対してそれを周知徹底し、個人情報の安全管理措置を実施いたします。

5.個人情報の第三者への提供

ご本人の事前の同意を得た場合及び法令に基づく場合を除き、個人情報を第三者に提供いたしません。

6.個人情報の開示、訂正等のご請求

当事務所は、個人情報保護法に基づき、当事務所の保有する個人情報に関して、個人情報から特定されるご本人からの開示・訂正等の請求を受け付けております。詳しくは contact (at) roppp.jp までご連絡ください。なお、ご請求が個人情報保護法の定める要件を満たさない場合、個人情報保護法その他の法令により、開示等を拒絶することが認められる事由がある場合には、ご請求にご対応できないことがございます。

6.プライバシーポリシーの変更

個人情報の安全管理を適切に行うため、当事務所は、プライバシーポリシーを随時見直し、改訂することがあります。重要な変更がある場合には、本ウェブサイトへの掲載等、分かりやすい方法でお知らせします。

2023年7月更新

六本木通りメンタリングデー

2019年1月よりシードステージのスタートアップを対象にご相談をお受けするメンタリングデーを設けます。

事業プランをお伺いして、知財の観点で考慮しておくべきこと、理解しておくべきことをフィードバックします。商標について、後手に回って解決に小さくない額の出費が避けられなくなることが少なからずあります。特許について、知っていたら良い特許出願をすることができたのに単に知らなかったからそれが不可能になっていることがあります。

特許については、状況によっては今、集中的な取り組みを始めることが事業の成長に大きく寄与することもあります。しかしながら、十分な取り組みを行うことがシードステージのリソースでは困難であることが多く、また、会社の状況について十分な情報が得られないことにより、最適な提案をし切れないことがあります。そこで、お互いに特許への集中的な取り組みの意味合いのコンセンサスが取れることを条件に少額出資の上、一株主として、出資後1年間特許出願等の知財支援をハンズオンで行います(実費のみ出資先負担)。

これまでいくつものスタートアップがシードステージから立ち上がっていく瞬間に立ち会ってきました。もっと出来た、というのが実感です。

専門家として、事業を理解した上での知財支援を客観的に行いつつ、一個人として、事業に一歩踏み込み、知財の事業成長への貢献をより大きなものとしていきたいと考えています。ご連絡お待ちしております。

プライバシーポリシー

追記「メンタリングデー」は2019年10月より「オフィスアワー」に一本化いたします。

弁理士大谷からのお願い-知財責任者のご指定-

弁理士大谷は、依頼者の事業を正しく理解した上で未来を変えていくスタートアップの特許・商標を最先端の実務で支えています。

事業を正しく理解することが出来なければ、その成長に寄与する打ち手としての特許・商標への取り組みをすることは出来ません。そして事業を正しく理解するためには、当職のカウンターパートが自社事業の今とこれからを正しく理解していることが欠かせず、このことは、当職のカウンターパートが取締役、執行役員等の役員レベルであることを多くの場合要求します。こうした適切なカウンターパートを知財責任者として定めて戴き、コミュニケーションを重ねていく中で、互いに事業と知財についての理解が深まり、価値のある成果を生み出すことができます。

起業直後に初めて起業家の方とお会いして、特許・商標への取り組みを始めた後、資金調達を経て会社のステージが変わっていくにつれて、一担当者に知財の問題を割り振って自ら関与しなくなることがあります。自社事業の今とこれからを正しく理解した上でどのような取り組みをすることが事業の成長を加速し得るかの検討を入社したばかりの一担当者と行うことは不可能です。

もちろん、会社の成長とともに社内弁護士が加わったり、役員ではないものの役員と極めて近い距離で戦略的な視点で業務を行っている方が加わったりすることがあります。こうした方を知財担当者として戴くことはあります。

いずれにしても、スタートアップがその限られたリソースの中で成果を生み出すためには、相応の知財責任者を定めていただき、経験を重ねていくことが不可欠であって、私一人の力で出来ることには限りがあります。会社の成長とともに知財責任者の変更又は知財担当者の指定が適切な場合には、後任の方にスタートアップの社内で引継ぎがなされることも不可欠です。大企業において数十人、数百人が日々知財の業務に当たっている状況において、事業の新しさを強みに極めて限られたリソースの中で成果を生み出すことを試みているのであって、当然の要請です。

しかしながら、これまで、特許出願を受任する際の委任契約書では知財責任者を明示して戴いておりましたが、スタートアップとのファーストコンタクトがほとんどの場合取締役であり、自社事業についての深い理解を有している方であることから、明示的に知財責任者のご指定をお願いしていないことが少なからずありました。

誰も注目していなかった「スタートアップ×知財」という領域で、少しでも広く知財に取り組む意義を伝えていくことを目的としてきたこの数年間は、これもスタートアップが知財に取り組むハードルを下げる観点で必要なことでしたが、環境は変わり、スタートアップがこれまで以上の大きな成長を目指す中で大手企業は欠かさず取り組んでいる知財への取り組みへの感度も高まっています。

これからは、取締役、執行役員を含む役員、社内弁護士又は協議の上定めたその他の知財責任者のご指定を必ずお願いすることとしていきます。

2022年7月22日改訂