第1章 スタートアップ知財の12年 弁理士大谷寛

第1章| スタートアップ知財の12年

出願翌日に意味を持つ特許—freeeとの出会い

旧友からの一本の連絡

2013年2月26日、一本のメッセージが届いた。送り主は佐々木大輔、高校時代の友人だ。

クラウド会計サービスを作っている。特許のことを相談したい。

それだけの短いメッセージだった。当時の私は、谷・阿部特許事務所、アンダーソン・毛利・友常法律事務所を経て、大野総合法律事務所で特許訴訟に明け暮れる日々を送っていた時期だ。2012年頃からベンチャー企業の特許出願を受任することはあったが、「スタートアップ」というものを明確に意識した経験はまだなかった。それは私だけではない。当時、スタートアップの知財を本業とする弁理士は、日本にいなかった。

旧友の頼みだ。とにかく話を聞こうとおもった。

ホワイトボードを前に、佐々木からプロダクトの説明を受けた。クラウドを使った会計ソフト—それがのちのfreeeだ。社名はまだCFO株式会社だった。

当時の会計ソフト市場は、インストール型のパッケージソフトが支配していた。そこにクラウドベースの全く新しいアーキテクチャで切り込もうとしている。その中核にあったのが、「自動仕訳」という機能だ。銀行口座・クレジットカードの取引データを自動的に取得し、仕訳を推測する—この仕組みには、特許になり得る発明が潜んでいた。

ローンチ前日の特許出願

ローンチは3月19日だと聞いた。3週間弱—少しタイトではあるが、充分に対応できる。

特許の世界は「先願主義」が原則。同じ発明を複数の人が思いついたとき、先に出願した者が権利を得る。そして、プロダクトを公開した後では、原則として新規性を喪失し、特許を取ることができなくなる。ローンチ前に出願を完了させる必要があった。

自動仕訳という中核機能の発明を整理し、出願書類を仕上げた。そして3月18日—ローンチ前日—特許庁に提出した。翌19日、freeeのサービスが正式にローンチされた。ローンチから2ヶ月後の5月には、Infinity Ventures Summit (IVS) 2013 Springの挑戦者の登竜門「Launch Pad」で優勝した。自分が出願書類を仕上げた発明が、その翌日から話題のプロダクトの中核機能として動き始めている手応えは、それまでの出願業務で一度も感じたことのないものだった。

「出願翌日に意味を持つ特許」の衝撃

その後、私はしばらくの間、その体験の意味を反芻し続けた。

それまでの私の出願実務において、出願した瞬間から事業に直結していると確信できる特許など存在しなかった。特許というのは、出願してから審査を経て権利化されるまでに数年かかる。さらに、実際に特許紛争で争われるのは出願からさらに数年後という時間軸の中で機能するものだった。私が関わってきた特許訴訟でも、対象となる特許は軒並み出願から5年から10年経過したものだった。出願した発明がいつ事業に寄与するのか見通せない—特許とは、そういう長期的な賭けだと思い込んでいた。

ところが、freeeの出願は、まったく違う時間軸で動いていた。

出願した翌日にサービスが公開され、ただちにその発明が支える機能が市場で意味を持ち始める。「出願翌日に意味を持つ特許」—それは比喩ではなく、文字通りの現実だった。

この体験は、私の頭の中で何かを根底から覆した。特許は賭けなどではなく、的を狙って作り込むことで事業と密接に結びつき、スタートアップにとって見逃せない意味を持つ—そう気付いた瞬間だった。

「スタートアップ」と出会った当時、私は時価総額数千億円から数兆円の世界的企業の紛争案件に日々携わっていた。1つの特許がこうした企業の事業を止めるという深刻な影響を与え得ることを目の当たりにし、特許の力を肌で知っていた。しかし、同じ大手企業の出願案件では、どうしても事業と特許の距離があった。訴訟案件と比較すれば、出願案件で特許の意義を強く感じる機会は少ない。

freeeの特許出願には、そうした重要案件に匹敵する確かさがあった。スタートアップに対してであれば、特許の本当の力、知財の本当の力を、訴訟案件ではなく出願案件においても届けられるのではないかと心が震えた。

それまでの「常識」が崩れた

特許紛争が生じるとしても、出願から5年から10年経過して初めて問題になるという構造の中で、出願時点の弁理士が、後に自分が担当した案件が紛争になることを真剣に見据えているだろうか。

答えは、必ずしもそうではない。出願は弁理士が担当し、訴訟では弁護士がこれを代理して戦うというのが常識だ。私は訴訟に関わる機会に恵まれたが、この常識を私自身も内面化していた。

その結果として何が起きるか。「自社」のプロダクトの「現在」仕様だけをカバーする、設計回避が容易な特許が大量に生まれる。競合はわずかな仕様変更で回避でき、権利としての価値はほぼゼロに近い。スタートアップの場合、この問題はさらに深刻だ。経営者はプロダクト開発と資金調達で手一杯で、特許に割ける時間も予算も限られている。「とりあえず出しておく」という出願が積み重なり、いざ使おうとしたときに何も機能しないという結果に陥りやすい。

スタートアップのための知財支援へ

freeeとの出会いは、私にとってその「常識」の外に出るきっかけだった。

スタートアップの特許には、大企業の特許とは全く異なる時間軸と意味がある。彼らはゼロからプロダクトを作り、競合が存在しない市場に最初に飛び込む。その「最初」を記録し、将来の競合参入に備え、投資家に競争優位の持続可能性を示す—そういう目的で特許は機能する。競合は、早ければ半年、一年で現れるため、特許の真価が早期に問われる。

しかも、スタートアップは常に新しい事業を生み出している。新たな事業は原則として新たな発明を生む。発明が生まれる土壌は、スタートアップそのものだ。

問題は、その発明を適切にすくい取る仕組みがないことだ。気づいたときにはすでに公開されており、新規性が失われているという場面を、私はその後何度も目撃することになった。

freeeとの出会いが私に与えたのは、こうした気付きの出発点だった。ここから、私の弁理士としてのキャリアは大きく方向転換した。スタートアップと創業期から向き合い、事業の成長とともに知財を形成していく—そういう仕事の形が、少しずつ具体的なイメージを持ち始めた瞬間だった。

しかし、「出願翌日に意味を持つ特許」の衝撃は、同時に一つの問いを突きつけた。いかに再現性をもってスタートアップにとって意味のある特許を届けるか—次の投稿では、起業経験のない弁理士がこの問いに向き合うために踏み出した3年間を語る。

「スタートアップ知財の12年」は、2013年のfreeeとの出会いを原点に、スタートアップの知財に12年以上向き合ってきた弁理士が、その実践と問いを語る連載です。

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著者

大谷 寛(Kan Otani)
弁理士 / 森田・大谷特許事務所共同設立者
2013年よりスタートアップのための知財形成に取り組み、freee、ソラコム、ジグザグのIPO企業を含む多数のスタートアップの特許出願を手がける。2025年に森田・大谷特許事務所を設立し、生成AIを活用した知財実務の高度化に注力している。慶應義塾大学理工学部卒、ハーバード大学大学院修士(応用物理学)。2020年第1回IP BASE AWARDグランプリ受賞。IAM及びManaging IP選出の日本を代表する特許専門家。