米国特許から読み解く自律実験の現在地-AIは材料開発のプロセスを革新できるか

2023年、カリフォルニア大学バークレー校の Gerbrand Ceder 研究室は、自律実験室「A-Lab」*1により17日で41個の新規物質を合成したと発表し、大きな注目を浴びた。もっとも、この「41」と「新規」という言葉は、後で見るように2026年の訂正で見直されることになる。

同じ時期に、Google DeepMind による GNoME(Graph Networks for Materials Exploration)*2は38万個の新規とされる安定な結晶構造の予測を、Microsoft による MatterGen*3は所望の物性から結晶構造を直接生成する生成モデルをそれぞれ発表した。

こうした一連の研究開発プロセスの革新は、Self-Driving Laboratory(SDL)と呼ばれる試みであり、人間のひらめきでは辿り着けない新規材料の開発が期待されている。

この動きは、いまや研究室の関心事に留まらない。米国科学技術政策局(OSTP)の報告書『Science: A New Golden Age』(2026年7月)*4は、通常20年ほどを要する材料開発の時間を「一桁(an order of magnitude)」縮める技術として自律実験を戦略の中心に据え、冒頭の「A-Lab」、それからArgonne の材料評価のモジュール型ロボット「Polybot」をプロトタイプとして名指しした。人間の手を離れて材料開発を10倍速で回すことは、いまや米国の国策になりつつある。

本記事では、新規材料に着目してSDL関連の米国特許文献を読み解き※、特許情報には偏りがあることを受け入れつつ、その現在地を探る。まだその数は多くない。しかし、今後どこに向かうのかの道しるべになるだろう。

研究開発プロセスの分解

研究開発プロセスを革新するSDLは、1000個試して1つ有望な材料が見つかるかどうかという材料開発の効率化を目標とし、分解すると以下のようにみることができる。

研究開発の4段階

1. 仮説生成 — 次に何を試すかの候補を生成する

2. 仮説選定 — 各候補の特性を予測して有望な候補を選び出す

3. 作製 — 選択した候補の材料を実際に作製する

4. 特性評価 — 作製した材料の特性を評価する

仮説を立て、作製した材料を評価し、次の仮説に繋げていく。大きくこのように捉えられる一連の流れを分解して、特許情報を見ていく。

4段階の現在地

まず、見取り図を示しておこう。作製の自動化はすでに進んでいる。難しいのは残る三段階―仮説生成・仮説選定・特性評価―であり、冒頭に挙げた三つの論文は、後述するように、まさにこれらの各段階で綻びを晒した。

ロボットが自動化する「作製」

ノースカロライナ州立大学の Abolhasani らによる “Modular Flow Reactors for Accelerated Synthesis of Indium Phosphide Quantum Dots” と題するUS2023/0021452*5は、リン化インジウム量子ドットをコンピュータ制御で連続的に合成するモジュール型フロー反応器だ。

有望な候補として選ばれた材料を実際に作製するために、人間の手順をロボットが解釈できる形へ変換する研究もある。グラスゴー大学の CroninらのUS2023/0173450*6は、自然言語で書かれた合成手順を機械可読な化学記述言語(XDL)に変換し、ケンタッキー大学の MahmoudiらによるUS2025/0389690*7は、人間が設計したワークフローをロボットアームの動作へ翻訳する。

ヒューマノイドが工場で自動車を組み立てるように、研究者の手足として実験を行う作業は、すでに自動化が現実になりつつある。

AIによる自律的な「仮説生成」

グラスゴー大学の Croninらは、”Autonomous Exploration” と題するUS2025/0118394*8において、進化計算を用いて金ナノ粒子合成の反応探索を示した。また、”Artificial Intelligence-Simulation Based Science” と題するUS2024/0370608*9には、科学シミュレーションとAIの融合を掲げる Pasteur Labsによる、所望の特性から材料の構造を導く逆設計が示されている。

これらは、研究者の作業の自動化(automation)ではなく、自律化(autonomy)だ。

だが、自律的に候補を生み出せることと、その候補が本当に新しいことは別だ。

冒頭のMatterGenは、目標の物性から結晶構造を直接生成する生成モデル(拡散モデル)だが、拡散モデルは学習データのもつ分布に引き寄せられる。Juelsholt の指摘どおり、Microsoftが実際に合成してみせた TaCr₂O₆ が1971年に報告済みの相(phase)と同一で、その相が学習データに含まれていたことは象徴的である*10。「生成できる」ことは、学習データの外で「真に新規なものを生成できる」ことを必ずしも意味しない。

探索空間の内側で進む「仮説選定」

作製すべき材料の信頼できる候補の仮説が立てられたとして、その数が数十万個と多ければ、ロボットを最大限活用しても実験による検証は非現実的である。そこで、各候補の特性を実験前に予測する研究が進んでいる。

メリーランド大学の Takeuchiらは、US2022/0407001*11において、各候補の特性をガウス過程回帰により予測し、次に測定すべき材料をベイズ最適化により選び出した。少ない実験で最適解に近づける強力な手法だが、その予測が効くのは既知のデータにより定まる探索空間の内側に限られる。

冒頭のGNoMEも、この延長にある。対称性を考慮した元素置換に加え、ランダム構造探索でも候補を生み出し、グラフニューラルネットが安定性を予測して選別する。生成は大量に行われ、その安定性予測は学習分布の外へも汎化すると報告される。だが、選び出された「新規」の多くは、Cheethamらの指摘するとおり、既知構造の些末な変種にとどまり*12、真の新規性と合成可能性は、実験で確かめるまで保証されない。

理由は根が深い。

代理モデルであってもシミュレーションであっても、in silicoの手段は最終的な結論を導くことができない。データから学ぶ代理モデルは、あくまで実験の「代理」であって、学習に用いたデータの外側では信頼性が低い。一方、第一原理計算などの物理法則を組み込んだシミュレーションは、理論的には物理法則を頼りに実験データのない領域も探索することができる。だが、たとえば、合成可能性といった肝心なところでは不透明になる。

真に新しい材料は、結局のところ実際に作製し、測定して確かめるしかない。これこそ、「実験室」そのものが自律化されねばならない理由である。

人手を排除できない「特性評価」

作製された材料の特性を計測すること自体は、自動化が進んでいる。ノースウェスタン大学の MirkinらのUS2025/0155414*13は、触媒ライブラリを反応性の薄膜で覆い、触媒反応の生成物を蛍光シグナルに変換して、多数の触媒の活性を一枚の画像から同時に読み取る高速スクリーニングである。30分で9万点を並行評価した。

しかしながら、測ったデータを「解釈する」段階になると、話は変わる。

冒頭の「A-Lab」の綻びは、まさにここにあった。合成物が何かを見極める相同定を、XRDパターンからの自動解析―畳み込みニューラルネットとパターン照合―に委ね、人手を外した。論文の公開後、この回折による同定と「新規(novel)」という主張に疑問が寄せられ、著者らは2026年1月に訂正を出した*14。題名の “novel materials” を “inorganic materials” に改め、”novel” は「科学的に新規」ではなく「予測プラットフォームにとって新しい」の意だったと釈明した上で、手作業で回折パターンを再解析したところ、報告した40例中36例は正しく同定されていたと論じている。

上述のメリーランド大学によるUS2022/0407001は、測定曲線からバンドギャップを取り出す解析に専門家を残すHITL(human-in-the-loop)である。測定は自動化できても、その解釈を人手なしで次の仮説生成・仮説選定へ繋げ、実験のループを自動で回すところまではまだ到達していない。

自律実験のこれから

現状を整理するとこうだ。

作製の自動化は進んだ。だが残る三段階には、それぞれ綻びがあった。

仮説生成は、候補を生み出せても、学習データの外、すなわち真に新規なものを出せるかは未実証である。仮説選定では、代理モデルの予測が効くのは既知のデータが定める探索空間の内側に閉じている。特性評価は、計測こそ自動化できても、測定を「解釈する」段階に人手が残る。

モデルは高度化する

各段階を高度化する研究は着実に進んでいる。

仮説生成については、トランスフォーマーアーキテクチャの大規模言語モデル(LLM)を使う試みがある。AntunesらのCrystaLLMは、結晶構造を記したCIFテキストをLLMに自己回帰的に生成させ、組成から結晶構造を直接描き出す*15。

仮説選定では、第一原理計算などのシミュレーションで関心領域の材料を多数創り出して人工のデータベースを築き、その領域の限られた実験データで転移学習(transfer learning)させて予測モデルを鍛える試みがある。材料データの乏しさに転移学習で応える系譜だ*16。また、Graph Transformer―トランスフォーマーアーキテクチャを取り込み、結晶の遠距離の構造まで捉える新しいモデル―が、特性予測の質と精度を押し上げつつある*17。

これらは、探索空間そのものを押し広げていく。学習データに縛られてきたモデルが、やがて未知の材料へ手を伸ばす―まだ未来の読みだが、そこに注目が集まっている。

自律的なループを束ねる

もっとも、自律実験のループを阻むのは計算の側だけではない。

米国OSTPの報告書*4は、隘路が物理の側にもあるとする。装置産業の寡占と囲い込まれたデータ形式の下で、研究者は機器同士を繋ぐだけで数ヶ月を溶かす―だから、標準化されたインターフェースとデータ形式のために装置の再設計が必要である。自律実験のラストワンマイルは、モデルの高度化とともに、機器そのものの進化にかかっている。

各工程を一つのループへ束ねる手法も、すでに構想されている。Forschungszentrum Jülich の Malek らによる “Orchestrator-Based Research and Development System, and Method for Operating Same” と題する US2026/0162035*18は、計測器・シミュレーション・文献という異種の資源を一つの目標へ向けて協調させ、直前の結果から次の実験を選び続ける「指揮者(オーケストレータ)」だ。その要は、バラバラの語彙・単位・形式で書かれたデータを、定義されたオントロジーの上で一つの知識グラフに束ね、横断して推論できるようにする点にある。米国OSTPが説く装置側の標準化に対し、こちらは意味の側から相互運用を可能にする発想だ。

作製と計測は、すでに機械の手に渡りつつある。

残る最前線は、生成・選定・解釈を一つのループへ束ね、人手を介さずに回し続けること—自律実験の現在地は、今まさにその入口にある。


※ 本記事で引用したSDL関連の米国特許文献は、2020年1月1日以降に出願されたものを対象に、PatentSQUAREを用いて2026年7月26日に検索した。

*1 N. J. Szymanski et al., “An autonomous laboratory for the accelerated synthesis of novel materials,” Nature 624 (2023)
*2 A. Merchant et al., “Scaling deep learning for materials discovery,” Nature 624 (2023)
*3 C. Zeni et al., “A generative model for inorganic materials design,” Nature 639 (2025)
*4 Office of Science and Technology Policy (M. Kratsios), Science: A New Golden Age, July 2026
*5 US2023/0021452, North Carolina State University, Milad Abolhasani et al., “Modular Flow Reactors for Accelerated Synthesis of Indium Phosphide Quantum Dots”
*6 US2023/0173450, The University Court of the University of Glasgow, Leroy Cronin et al., “Automated Chemical Synthesis Platform”
*7 US2025/0389690, University of Kentucky Research Foundation, Siamak Mahmoudi et al, “Man-to-Machine Interface Toward Automated Electrochemistry Experiments”
*8 US2025/0118394, The University Court of the University of Glasgow, Leroy Cronin, “Autonomous Exploration”
*9 US2024/0370608, Pasteur Labs, Inc., Alexander Lavin, “Artificial Intelligence-Simulation Based Science”
*10 M. Juelsholt, “Continued challenges in high-throughput materials predictions: MatterGen predicts compounds from the training dataset,” Materials Horizons 13 (2026)
*11 US2022/0407001, University of Maryland et al., Ichiro Takeuchi et al., “Novel Nanocomposite Phase-Change Memory Materials and Design and Selection of the Same”
*12 A. K. Cheetham et al., “Artificial Intelligence Driving Materials Discovery?,” Chem. Mater. 36 (2024)
*13 US2025/0155414, Northwestern University, Chad A. Mirkin et al., “Reactive Thin Film Coatings on Catalyst Libraries for High Throughput Screening”
*14 N. J. Szymanski et al., “Author Correction: An autonomous laboratory for the accelerated synthesis of inorganic materials,” Nature 650 (2026)
*15 L. M. Antunes et al., “Crystal structure generation with autoregressive large language modeling,” Nature Communications 15 (2024)
*16 T. Tadano et al., “Accurate screening of functional materials with machine-learning potential and transfer-learned regressions: Heusler alloy benchmark,” npj Computational Materials 12 (2026)
*17 K. Yan et al., “Complete and Efficient Graph Transformers for Crystal Material Property Prediction,” ICLR 2024
*18 US2026/0162035, Forschungszentrum Jülich GmbH, Kourosh Malek et al., “Orchestrator-Based Research and Development System, and Method for Operating Same”

moatになる特許、ならない特許—生成AI時代の分かれ目

特許はAIに書かせれば十分」という錯覚

参入障壁—moat—は、企業が獲得しうる模倣困難性として5つもない、多くても10個だ。スピード、オペレーション、データ、スイッチングコスト、ブランド、ネットワーク効果、そして規模の経済*1。

そして、参入障壁を高める一つの手段として、特許がある。このことは、連載「スタートアップ知財の12年」の第4章でも書いた。

ここに、生成AIが地殻変動をもたらした。

生成AIに概要を伝えれば、特許出願書類のドラフトはすぐに出てくる。文体は整い、図面も生成することができるだろう。出願にかかる手間は劇的に下がった。つまり、特許出願は誰にでも、いくらでも、量産できる時代に入りつつある。

この事実から、「特許はもうAIに任せて、企業は他に集中すべき」という結論を導くのは早い。むしろ逆だ。

出願書類に限らず、アイディアを形にするコストが生成AIによって劇的に下がったからこそ、moatになる特許とならない特許の差はこれまで以上に鮮明になり、価値の二極化が起きていく。

生成AIがmoatを二極化させた

生成AIによって、文章作成、市場調査、コーディング、プロトタイピングのコストは大きく下がった。アイディアを「知る」 から「作る」 までの距離が縮んだ、と言い換えてもよい。

代表的なmoatの一つであるスイッチングコストにおいて、その変化は顕著だ。

A社の製品を使用していてB社の製品に乗り換えようとすると、データ移行が必要となり、オペレーションも変更しなければならない。日々の業務を担う担当者の再教育も必要だ。

データは特に、moatになると言われてきた*2。

しかし、ファーストムーバーとしてA社が顧客のデータを蓄積してきたとしても、A社がデータエキスポートを認めないということは困難だ。そして、生成AIに委ねれば、顧客はそのデータをB社の製品に対応した形式に数分で変換できてしまうだろう。担当者が必要な手順書を新製品のために書き直すことも即座に終わってしまう。

顧客が移行できない性質のデータを蓄積できていなければ、データはmoatにならない。

もちろん、顧客の業務に深く食い込み、あるいはネットワーク効果が生じており、他社製品に変更することのコストが甚大であれば、引き続きmoatとして成立するものの、その難易度は上がっている。B社がA社製品を模倣して類似の製品を作ることのコストが下がっている今であれば、なおさらだ。

浅いmoatは削られ、深いmoatを追い求めなければならない。

何が特許をmoatにするのか?

出願書類作成のコストが下がることで、「とりあえず出しておく」特許の数は急増する。スタートアップが投資家から「特許出願はしていますか」と問われたとき、1件より5件の方が見栄えがいい。5件より50件の方が価値がありそうだ。だから、量は出る。

しかし、五月雨式に数を重ねても moat にならない。

生成AIで特許が容易に出せるのであれば、それを代替する回避手段を見出すことも容易にできるということだ。単に生成AIに書かせた特許出願をしてみても、競合に即座に回避されてしまう。

生成AI がコストを下げる出願書類の作成は、価値ある特許を生み出す全工程の一部にすぎず、moat になる特許には条件があるのだ。

moatになる特許の条件:

  1. 事業の核となる価値に直結 — まず、特許の対象となる発明が、競合も類似製品を出す上で顧客に提供すべき事業の核となる価値に直結していることが求められる。そうでなければ、競合はそのような発明の外で類似製品を提供すればよいだけである。
  2. 回避困難な抽象度で概念化 — 次に、事業に直結した価値の実現手段が競合が回避困難な抽象度で概念化されていることも求められる。自社製品の具体的な仕様のみをカバーしていても、そのすぐ隣で同じ価値提供がなされてしまう。
  3. 事業進捗に応じた出願件数 — 事業の進捗に応じて、上記のような特許出願が重ねられていることが望ましい。2つ、3つと権利行使可能な権利が積み上がることで、競合の抱えるリスクは危険水域に近づいていく*3。事業が複数のプロダクトを伴う規模の大きなものであれば、必要な件数も増えていくだろう。

あなたの特許はmoatか、noiseか

これらの条件を満たすためには、事業に向き合い、真の課題を見抜き、いつ、何を出願をしていくのかという戦略性が欠かせない。

この戦略性は、特許がいかに回避されるかを身に染みて感じ、逃げ場のない発明をプロダクトから切り取る経験の累積から生まれる。私の例でいえば、時価総額数千億円から数兆円の世界的企業の紛争案件に日々携わってきた経験から、重要になればなるほど、特許は無効にされ、回避されることを目の当たりにし、再現性をもって参入障壁となる特許を生み出す方法論の構築に心血を注いできた。

出願書類の作成は、関連市場の調査、成功企業の特許分析、ローカルLLMによる発明抽出、そして出願後の振り返りといった特許を生み出すための11の工程の1つにすぎない。

書類作成の効率化に留まることなく、戦略の高度化に生成AIを組み込むことで、特許はこれまで以上に深いmoatになり得る。正しく位置づけられた出願は、特許の価値を高める。

あなたの事業のmoatは、どこにあるのか。

スピードか、データか、ブランドか、ネットワーク効果か、あるいは特許か。特許にmoatを求めるのなら、単にデータを蓄積してもmoatにならないように、単に出願を量産しても、それはnoiseにしかならないかもしれない。

あなたの特許はmoatになっているだろうか。

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*1 Warren Buffett が Berkshire Hathaway の 1986 年の年次書簡で GEICO のコスト優位を「a kind of moat that protects a valuable and much-sought-after business castle」 と評して以来、moat は戦略論の一翼となってきた。Buffett 自身は moat を定式化していないが、年次書簡で例示してきた類型を Pat Dorsey が 『The Little Book That Builds Wealth』 (2008) で4つのmoat—無形資産、スイッチングコスト、ネットワーク効果、コスト優位—に体系化した。Hamilton Helmer は『7 Powers: The Foundations of Business Strategy』(2016)で、持続的競争優位の類型を7つのpower—カウンター・ポジショニング、希少資源、規模の経済、ネットワーク効果、スイッチングコスト、プロセス・パワー、ブランド—として論じた。Peter Thielは『Zero to One』(2014)で、利益の源泉である独占を構成する4つの特徴—独自技術、ネットワーク効果、規模の経済、ブランド—を語った。

*2 データが単独でmoatになるか否かについては、近年のVC議論で繰り返し懐疑が示されてきた。Andreessen Horowitz “The Empty Promise of Data Moats“(Martin Casado & Peter Lauten, 2019)は、多面的な分析を行い、データだけではmoatにならないと結論した。Sequoia Capital “Generative AI’s Act Two“(Sonya Huang, Pat Grady & GPT-4, 2023)は「data moats are on shaky ground」 と述べ、同様に結論づけた。他方、物理世界からの収集を要する領域においては、データ収集が依然として高コストであるため、moatになり得るとする見方もある。

*3 筆者は、CNET Japan掲載の「どこまでやればいい?スタートアップのための特許戦略のKPI」という記事で、新たな市場を切り開くファーストムーバーは「どの程度の取り組みをすればよいのか?」という問いにつき、プロダクト当たりの出願件数(PPP)をKPIとしてPPP>2という指標を提案した。生成AIによって模倣の壁が下がっている昨今、3件よりも多くというニュアンスを強めてPPP≧3と表現してもよいかもしれない。

著者

大谷 寛(Kan Otani)
弁理士 / 森田・大谷特許事務所共同設立者
2013年よりスタートアップのための知財形成に取り組み、freee、ソラコム、ジグザグのIPO企業を含む多数のスタートアップの特許出願を手がける。2025年に森田・大谷特許事務所を設立し、生成AIを活用した知財実務の高度化に注力している。慶應義塾大学理工学部卒、ハーバード大学大学院修士(応用物理学)。2020年第1回IP BASE AWARDグランプリ受賞。IAM及びManaging IP選出の日本を代表する特許専門家。連載「スタートアップ知財の12年」。

指定商品・役務の死角—生成AIで埋める商標登録の実務

2023年3月、GPT-4が公開された直後のことだ。GPT-4を触り始めて数日で、一つ気付いたことがあった。

私は、商標登録出願の願書に必要な「指定商品・指定役務」の選定に長く時間を費やしてきた。事業の説明を聞いて、その事業を営む上で関連する商品・役務を網羅的に拾い上げ、特許庁が認める文言に落とし込む—願書作成の実務に欠かせない作業だ。

生成AIが注目を浴び出したばかりで何ができるのか世界中が手探りであった中で、依頼者の事業を短く説明して適切なプロンプトにすると、その事業から派生し得る商品・役務を驚くほど幅広く列挙することができた。

「メタバースにおけるライブ開催」と入力すると、「仮想ライブイベント」「アバター用仮想グッズの販売」「ライブチャット」「ファンクラブ」と次々に挙がる。私も依頼者自身も考えていなかったものまで含めて。

ただ、それだけでは商標登録出願には使えない。願書に書ける文言は特許庁が示す商品・役務の例示にならって決める必要がある。「ファンクラブ」と書いても、特許庁が求める明確性の基準を満たさなければ、そのままでは伝わらない。生成AIのもたらす発想を商標法上の文言に翻訳しなければならない。

二段階の翻訳—事業から業務に、業務から商品・役務に

そこで組み立てたのは、二段階の翻訳だった。

第一段階では、事業の説明を生成AIに渡し、「この事業を営む上で提供され得る一組の商品・役務」を列挙させる。ここでは創造性を解放する。依頼者自身が考えていない範囲まで広げることが目的だからだ。

第二段階では、第一段階で得られた商品・役務、すなわち依頼者の事業に伴う各業務を入力として、願書に記載可能な商品・役務の一覧から対応する商品・役務の候補を生成AIに選定させる。技術的には、願書に記載可能な商品・役務の一覧をチャンク単位に分割して埋め込み(embedding)を行ったデータベースから、第一段階の各出力との関連性が高いチャンクを抽出し、その中から候補を選ばせる—いわゆるRAG(Retrieval Augmented Generation)の構成である。各候補には類似群コードが紐づき、そのまま先行商標調査の入力として使える。

二段階に分けることで、「広げる」処理と特許庁の文言に「落とし込む」処理が分離される。広げるだけでは出願に十分とは言えず、特許庁の文言に合わせるだけでは依頼者の頭の中にあるものしか拾えない。両方が要る。

それまで多くの時間を費やしてきた作業が劇的に効率化されることを目の当たりにして、「これは発明だ」と直ちに特許出願の準備を進めた。

権利化にあたっては、発明を最上位の抽象度で表現する独立項を第一段階のみで構成した。第二段階は、明細書で詳細を開示しつつ、従属項に置き、独立項の射程からは外している。事業説明を入力として、入力に含まれない商品・役務まで含めて生成AIに列挙させる—この一手こそが新しいのであって、商標法上の文言への翻訳は付加的な特徴として位置づけた。

成立した特許第7620967号は、商標登録の文脈において、事業説明を起点とする生成AIによる商品・役務の展開を広く射程に収めている。

「自分で出す」のその先——指定商品・役務の死角

私は以前、「30分で出来る、スタートアップの初めての商標出願」という記事を書いた。スタートアップの一件目の商標出願は、外形だけを見れば、スタートアップが自社で短時間で進められる。J-PlatPatで先行商標を調べ、願書を作り、特許庁に提出する。手数料以外の負担はそれほど大きくない。

そこでも書いたのだが、最大の難所が一つある。願書に記載する指定商品・指定役務をどう選ぶかだ。

商標登録で最も典型的な失敗は、出願時点で創業者の視界に入っている範囲だけを指定してしまうことである。一年後、二年後の事業展開で、当初指定した範囲を超える業務を行うことが少なくない。ほとんどのケースにおいてそうなると言ってもよい。その時点で他社が先に登録していれば、自社のブランドをそうした新たな事業で使えなくなる。新規性が高い事業ほどこの罠にはまりやすい。

具体例を挙げる。「メタバースにおけるライブ開催」というサービスを始めるスタートアップが、自社で願書を作るとする。エンタメ系の役務だと考え、第41類「コンサートの企画又は運営」を指定する—ここまでは自然な判断だろう。

ところが、「メタバースにおけるライブ開催」という事業説明をこの発明に従って生成AIに入力すると、第一段階で「仮想ライブイベント」「アバター用仮想グッズの販売」「ライブチャット」「ファンクラブ」、さらには「イベントスポンサーシップ」といった商品・役務が提示される。続く第二段階では、それぞれを特許庁の文言に翻訳していく。「仮想ライブイベント」であれば、第41類の「コンサートの企画又は運営」(類似群コード41E01)、「インターネットを利用して行う映像の提供」(類似群コード41E02)、「インターネットを利用して行う音楽の提供」(類似群コード41E03)といった複数の役務候補へ展開される。

事業が拡大した一年後、アバター用仮想グッズが収益の柱の一つになり始めたタイミングで、十分に対応をしたと考えていた商標登録でそれがカバーされていなければどうなるだろうか。ワーストシナリオとして、他社がその範囲で先に商標を登録してしまっていたら?

収益モデルが確立し、これから成長を加速していくというタイミングでブランド変更を余儀なくされることになる。

効率化ではなく高度化

2023年4月8日に最初の出願を行い、優先権主張を重ねながら2024年4月にPCT出願、2025年1月に日本で特許権が成立した。ChatGPTで2023年3月19日から4月8日まで、OpenAI APIで2023年4月5日から4月8日まで、仮想事例でそれぞれ検証を行った。新規性喪失の例外規定の適用を受けるため、二通の証明書を提出している。GPT-4の公開直後の三週間、ほぼ毎日検証を重ねた上での出願だった。

生成AIの登場以降、知財実務には「効率化」と「高度化」の二種類のインパクトがある。前者は既存の作業時間を短くする。後者は、これまで人間が行っていたことを一層高い水準で行うことを可能にする。

この発明は、前者に留まらず、後者でもある。指定商品・役務の選定は、これまで弁理士が依頼者にヒアリングして書き起こす作業だった。生成AIを介在させると、依頼者の説明から事業を構成する業務を幅広く展開し、それらを特許庁の表現に落とし込む作業に変わる。弁理士の役割は、ここで変容している。

知財実務の現場では、こうした変革*1はあちこちで起き始めている。本発明はその一例にすぎない。


*1 知財業務全体における生成AIによる変革については、別稿「生成AIによる知財業務の変革と今後の展望」『生成AIによる業務効率化と活用事例集』(研究開発リーダー、2025年)で論じています。

森田・大谷特許事務所では、商標登録出願業務にこの発明を適用して日々業務を進めている。新規性の高い事業を営むスタートアップで指定商品・役務を十分に選定してから出願に臨みたいとお考えの方は、当事務所の支援を是非選択肢に入れていただきたい。

著者

大谷 寛(Kan Otani)

弁理士 / 森田・大谷特許事務所共同設立者

2013年よりスタートアップのための知財形成に取り組み、freee、ソラコム、ジグザグのIPO企業を含む多数のスタートアップの特許出願を手がける。2025年に森田・大谷特許事務所を設立し、生成AIを活用した知財実務の高度化に注力している。慶應義塾大学理工学部卒、ハーバード大学大学院修士(応用物理学)。2020年第1回IP BASE AWARDグランプリ受賞。IAM及びManaging IP選出の日本を代表する特許専門家。連載「スタートアップ知財の12年」。