特許は本当にスタートアップの参入障壁になるのか
参入障壁とは何か
特許権を取得すれば本当に参入障壁—moat—になるのか?残念ながら、多くの場合はならない。
なぜそうなのかを語るには、まずスタートアップにとって参入障壁とは何かから整理する必要がある。
ファーストムーバーであるスタートアップは、顧客に受け入れられるか否か不確実な状況でリスクを取って開発を行うことで独自の価値を提供する。独自の価値を優位性として顧客に知ってもらい、選んでもらうことで事業が成長する。
しかし、コピーキャットは必ず現れる。なぜならば、顧客受容性があることが検証された後に参入すれば、リスクを取らずに類似プロダクトを提供できるからである。情報は一般に自由に流通するものであり、ファーストムーバーの動向を知って追従することは企業行動として投資対効果が高く、合理的である。
こうした模倣に対して何ができるか?その打ち手が参入障壁だ。
競合が追い付けないスピードで開発を進め、顧客に対する提供価値をいち早く高めていく。表面的にはコピーできてもオペレーションの細部までは模倣できず、顧客の満足度で優位に立つ。顧客に深く入り込み、スイッチングコストを高め、後から模倣しようとしても入る隙を与えない。
このように企業が獲得し得る模倣困難性を挙げていくと5つもない。多くても10個だ。そうした模倣困難性を獲得する一つの手段として、特許がある。築いた優位性を権利として固定することで模倣困難性を生み出すことに特許の意義がある。
ところが、特許は多くの場合、この役割を果たさない。
なぜ多くの特許は参入障壁にならないのか
その理由は、事業という「森」を見ることなく、技術という「木」の権利化に留まっているからだ。
特許制度は、これまでにない新たなコンセプトを評価して権利を付与する。そのため、プロダクトで用いられる技術の詳細を発明として捉えれば、従来の技術とは容易に区別され、審査を通過することができる。
だが、技術の詳細に入れば入るほど、代替技術を許容する余地が大きくなり、競合は必ずしも特許権が付与された技術を採用しなくても、同様の機能を顧客に提供することができてしまう。技術の詳細に最大限入らずに、顧客に対する提供価値の実現手段を幅広くカバーするコンセプトを発明として権利化することで初めて、競合は同様の価値提供を行うことが制約されることになる。
大企業のように数百、数千の特許出願をして、後に紛争が生じた際に「使える」特許を選ぶという方法がとれないスタートアップにおいては、「技術」ではなく「事業」に力点をおいて、事業を構成する提供価値の独占を可能とする発明を権利化しなければならない。
事業には複数の提供価値があるので、それらを独占する特許を1つ2つと重ねることで参入障壁は高くなっていく。
弁理士の報酬体系という壁—なぜ「事業」に向き合えないのか?
しかし、多くの場合、顧客が弁理士に特許の相談をする際には「これは特許になりそう」という観点で情報を整理して伝える。もちろん、自社の独自性を高めるかもしれないという期待をもって相談に至っているだろう。それでも、いざ特許の議論になると往々にして特許になるか否かが議論の中心となってしまう。
弁理士としても、特許出願時にいくら、審査への対応でいくら、特許権が成立していくらというように、出願を行い権利化に結び付けて対価が得られるという報酬体系になっていることが多い。その結果、「そもそも出願すべきは顧客が最初に説明した技術ではない」「事業全体という『森』を見渡せば本来権利化を試みるべき『木』はそれではない」「審査は通せるとしても技術の詳細に入りすぎていて他社事業に対する制約にならない」—こうした検討は、旧来の報酬体系では金銭的には不利益にしかならない。
本当に今出願しようとしている発明は顧客の事業に価値をもたらすのか。
この問いに正面から向かい合えば合うほど、対価の発生しない相談が増えてしまう。
問題はインセンティブ設計だった。本来弁理士がすべき仕事に向き合うことができるインセンティブ設計になっていないという構造的な問題に私自身直面していた。
時間給も顧問契約も問題を解決しなかった
まず、私が変えたのは、手続単位の固定額という報酬体系だ。固定額とするものも残しつつ、検討時間に応じた時間給に変えた。これによって、特許出願を実行するか否か、特許権が成立するか否かにかかわらず、顧客の事業にとって価値をもたらす発明はなにか、特許出願をすべきなのか、あるいはしなくてよいのかといった本質的な業務に向き合うことが可能になった。
それでも、顧客は特許の話をしたいのであって、特許になるか否かが知りたい、特許権を成立させたいという歪みを正すことにはならなかった。なにかが足りなかった。
私は顧問契約を試した。
月数時間の定例会議を固定額で開催することで必ずしも特許出願を前提とせずに開発中の機能について伺ったり、時には商標の相談に乗ったり、それまでよりも広がりのあるコミュニケーションをする機会が増えた。しかし、毎月何かしら問題が発生して相談が絶えない弁護士の顧問契約とは異なり、常に発明は生まれるわけではなく、顧問契約は形骸化してしまう例が少なくなかった。
私の力不足といえばそれまでだが、新たな開発の進捗がない中で、弁理士に事業の状況、事業の戦略を話す必要性を感じてもらうことは困難だった。
ただ、特許出願の件数が増えていくと審査対応等で毎月判断が必要になり、定例会議が機能しやすくなることはある。
株主として弁理士のインセンティブを揃える—ジグザグへの出資
弁理士がスタートアップの株主になる
技術だけを見ていてはならず、事業の構造を理解し、模倣困難性を高めるパズルのピースとして特許出願を埋め込む。理論としてはクリアに見えていても、上手くいかないことが多かったこの時期に、第3章で語った越境EC支援のジグザグへのシードラウンドでの出資が転換点となる。
事業計画、開発状況、起業家の目指す未来。外には出せない会社の内情まで含めて、これまで知りたかったすべてが株主として与えられた。事業と特許のあいだの距離が縮まった瞬間だった。
スタートアップとしても、自ら出資した株主が価値を生まない特許出願を勧めるとはおもうはずがなく、模倣困難性を生み出す重要な取り組みとして一緒に向き合ってくれた。
開発前のプレゼン資料しかないときに初めて話を聞き、魂を込めて書いた特許出願は、ジグザグの上場までのプロダクトの根幹を支える特許権として結実した。
4人のエンジェル投資家—シードラウンドの文脈
このシード投資には、特別な文脈があった。
第2章で紹介した海老根さんを含む、4人のエンジェル投資家がジグザグのシードラウンドに参加していた。
川田尚吾さんはDeNAを南場智子氏と共同創業し、スマートニュース・ウォンテッドリーへの投資でも知られる著名なエンジェル投資家だ。杉山全功さんはザッパラス・enishの2社を代表取締役として東証一部に上場させた「上場請負人」。松本浩介さんもIPO経験豊かなプロフェッショナルなCFOで、杉山さんの盟友として同じくザッパラス・enishの上場を支えた人物だ。
事業の将来性を見抜く力と上場を実現させる経営の力——突出した力を持つ4人が揃ったシードラウンドに、海老根さんが私を引き込んでくれた。
「二度とあるか分からないチャンスを必ずものにしなければならない」
効率を度外視して没頭した経験が私を成長させ、事業の言葉で発明を語ることへの不安を払拭してくれた。
六本木通り特許事務所の設立—スタートアップへのエクイティ関与の実験を深める
2017年、私は独立して「六本木通り特許事務所」を設立した。六本木という地は、当時スタートアップと投資家が集まるエコシステムの象徴でもある。そこに常にいるというメッセージを込めた命名だ。
独立は、自らのポジショニングを明らかにし、顧客に対して独自の価値を提供するための選択だった。同時に、スタートアップのような大きな成長を急速に遂げるものではないものの、起業家に少しでも近づき、信頼を勝ち取りたいという意思の表明でもあった。信頼がなければ、顧客は事業について話してくれない。
独立後、ジグザグに続いて2019年までに2社のスタートアップへの出資を行い、1社はストックオプション(SO)を報酬として支援した。
同じ時期、特許庁の調査研究委員会委員として「ベンチャー投資家のための知的財産に対する評価・支援の手引き」の作成に携わった。ベンチャーキャピタルの視点から知財支援を体系化する議論を通して、投資家が肯定的に評価する知財の在り方の理解を深めた。
私自身の投資の結果は、期待通りに進んでいるものも、そうでないものもある。
エクイティで関与すれば、弁理士とスタートアップのインセンティブは強制的に揃う。とはいえ、出会うスタートアップのすべてが当然それを求めているわけではないし、弁理士が個人として出資できるラウンドの時期を過ぎていることも多々ある。
実際にエクイティをもっているかとは別に、株主であるかのような視点で事業の成長に真摯に向き合っている姿勢が伝われば、スタートアップも自らの事業の状況を話してくれる—そして、技術の枝葉ではなく、事業の核に関わる発明と出会うことができるということをこの時期の経験は教えてくれた。
ただ、株主ではなく、外部の専門家としてスタートアップの信頼を勝ち取るには、特許権の成立に向けた個々の取り組みにおいて、事業の成長のために行うものであることを丁寧に言語化し、説明を重ねていく必要がある。そのために私が行っていることも本連載の中で紹介する。
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次の投稿では、番外編として、freee v. MF訴訟—日本初のスタートアップ原告特許訴訟—について、評価を入れずに当時の反響を記録として紹介する。
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「スタートアップ知財の12年」は、2013年のfreeeとの出会いを原点に、スタートアップの知財に12年以上向き合ってきた弁理士が、その実践と問いを語る連載です。
[連載一覧はこちら]
著者
大谷 寛(Kan Otani)
弁理士 / 森田・大谷特許事務所共同設立者
2013年よりスタートアップのための知財形成に取り組み、freee、ソラコム、ジグザグのIPO企業を含む多数のスタートアップの特許出願を手がける。2025年に森田・大谷特許事務所を設立し、生成AIを活用した知財実務の高度化に注力している。慶應義塾大学理工学部卒、ハーバード大学大学院修士(応用物理学)。2020年第1回IP BASE AWARDグランプリ受賞。IAM及びManaging IP選出の日本を代表する特許専門家。