特許はどう作られ、事業の成長を支えるのか
弁理士という仕事を長く続けていると、「技術的に高度な特許を数多く書いた」という実績より、「この権利は確かに事業を支えた」という手応えの方が鮮明に残る。特許の価値は、説明を受けた発明を理解するだけでは決まらない。依頼者の事業と向き合い、その構造を理解し、優位性を強化する発明として捉え直す—その書き方の巧拙が、5年後、10年後の事業の景色を変える。
この章では、私が特に誇りとする3つの仕事を振り返る。ソラコム、カケハシ、ジグザグ—それぞれの特許がどう作られ、事業の成長をどう支えてきたのか。
ソラコム—プラットフォームの設計思想を権利にする
株式会社ソラコムは、IoT向けの通信プラットフォームを提供する日本発のスタートアップだ。2014年11月の創業後、2015年9月にIoT通信プラットフォーム「SORACOM Air」の提供を開始。2017年にKDDIが子会社化し、その信用を得て契約回線数を600万超にまで拡大した後、2024年3月に東京証券取引所グロース市場へ上場した。大企業の傘下で力を蓄えてから株式を公開する「スイングバイIPO」の先例として広く注目を集めた。
私が手掛けたのは、SORACOM Airの設計思想を捉えた基本発明に関する特許出願だ。出願日は2015年6月—サービスの提供開始三か月前になる。
個別機能のアーキテクチャからの分離
IoTの通信は、携帯電話キャリア(MNO)のネットワークに接続するゲートウェイを経由する。このゲートウェイは1台数億円の高価なハードウェアであり、キャリアが接続できる台数を制限している。さらに、暗号化やプロトコル変換などの機能をゲートウェイに載せれば載せるほど、同時に接続できるデバイスの数が減る。無数のデバイスをつなぎ、かつリッチな機能を提供する—IoTの本質的な要求は、従来のアーキテクチャでは両立しなかった。
ソラコムの設計思想は、この制約を根本から覆す。ゲートウェイを、キャリアとの接続を担う薄いルーティング層と、データ処理を担うクラウド上のインスタンス群に分離する。ルーティング層はヘッダの書き換えと転送に徹して同時接続数を最大化し、処理層はクラウドの弾力性を活かして必要なだけスケールアウトする。
この設計思想を特許として権利化するとき、暗号化やスループット制御といった個々の機能を請求項に書くのでは足りない。それらはクラウド側の処理層が行う仕事の「例」にすぎないからだ。押さえるべきは、ゲートウェイを二層に分離し、スケーラビリティをクラウドに委ねるというアーキテクチャそのものだ。特定の実装ではなく、その実装を貫くプラットフォームの設計思想自体を請求項に落とし込む—これが、ソラコムの特許で私が追求した仕事だ。
国境を越えて
この特許は日本だけで完結するものではない。米国・欧州・中国にまたがる国際的なポートフォリオとして権利が形成されている。米国では、2017年12月の国内移行から2回のRCEを経て2022年4月に望むかたちで権利化に成功した。国ごとの審査実務の違いを踏まえてぎりぎりの調整が求められたが、国境を超える参入障壁を形成した。
2026年の今、ソラコムはグローバル売上が全体の4割を超え、日本市場の5倍以上の規模を持つ米国での事業を急速に伸ばしている。その礎に、2015年の出願から粘り強く築いてきた国際特許ポートフォリオがある。
カケハシ—業務オペレーションをビジネスモデル特許に
株式会社カケハシは、電子薬歴「Musubi」をはじめとする薬剤師向けの業務支援ツールを手がける2016年3月創業のスタートアップだ。第2章で述べた論文執筆・CNET連載でスタートアップのエコシステムにおける認知が広がる中、紹介を通じて出会った一社だ。
薬局には、長年解消されない構造的な非効率があった。薬剤師は患者への服薬指導の後、説明した内容を紙にメモし、残業時間に電子薬歴システムへ転記する。この薬歴記載の負担が、本来患者と向き合うべき時間を圧迫していた。
カケハシの発明は、この問題をソフトウェアによるオペレーションの刷新で解決する。薬剤師がタブレットで患者に処方薬を示しながら、実際に説明した内容を画面上で選択していく。選択が終わると、対応する薬歴が自動的に生成される。ここで鍵になるのは、患者に見せる説明と薬歴に記録される内容が別物であるという設計だ。患者にはわかりやすい口語で、薬歴には医学的な表現で—この二重構造により、説明行為そのものが記録行為になる。
言葉にすればそれだけだ。しかし、「それだけ」が発明だった。
製品化前の出願
この発明に関する特許出願は、創業から7ヶ月後の2016年10月に行われた。Musubiのリリースは翌2017年8月—製品はまだ形になっていなかった。
なぜ製品化前に出願したのか。カケハシの中川貴史COOは、この出願について「ビジネスモデル自体を特許として出願し、競合他社の参入を阻む」ものと報じた日本経済新聞(2019年2月4日)の取材にこう答えている。
「製品化前のアイデアを特許で押さえないと、大手に参入された場合に資金力と販売力で負ける」
その前にプロダクトの核心部分を権利で押さえておく。資金力で勝てなくても知財という武器を一早く確保することは可能だ。
2018年に特許権が成立した。Musubiはその後も成長を続け、導入薬局数は2022年に6,000店舗、2025年には14,000店舗を突破—全国の薬局の5分の1以上がMusubiを使っている。累計資金調達額は280億円を超え、2025年6月のシリーズDではゴールドマン・サックスがリード投資家として参画した。
「業務工程のデジタル化」は、あらゆる業界のスタートアップが取り組んでいることだ。医療、物流、建設、教育—アナログな業務をデジタルに置き換えるプロダクトは無数にある。それらの多くに、カケハシと同じ構造の発明が眠っている可能性がある。当たり前と予断することなく、起業家が生み出した新たなコンセプトを言葉にするのだ。
ジグザグ—ピボットを超える特許を書く
株式会社ジグザグは、2015年6月に創業した越境EC支援のスタートアップだ。創業からわずか2ヶ月後の同年8月に特許出願を行った。
日本国内には約15兆円のEC市場がある。国内ECサイトへの海外アクセス比率は2〜4%—金額にして3,000億〜6,000億円規模の「買えていない体験」が存在する。海外からのアクセスがあっても、多くのECサイトは海外配送に対応していないため、その流入を売上につなげられない。言語、決済、物流—越境ECの三つの壁がそこにある。
ジグザグは2016年4月に越境ECサービス「Worldshopping.global」をリリースした。ECサイトの商品データを連携し、WorldShoppingドメイン上に多言語ECサイトを開設するモデルだ。しかし、導入企業側の開発ハードルがあり導入数は伸び悩んだ。
2016年11月、ジグザグはモバイル・インターネット・キャピタル(MIC)から資金調達を行う。この投資は、第2章で紹介した元木新さんが主導した。製品の立ち上がりが鈍い中でも、出願済みの特許は越境ECという新興領域におけるジグザグの独自性を裏付けて、ベンチャーキャピタルの信頼を勝ち取る材料となった。
BIZへのピボット
転機は2017年8月、ECサイト向け越境EC支援ソリューション「WorldShopping BIZ」へのピボットだ。ECサイトにJavaScriptタグを1行追加するだけで、海外ユーザーにだけジグザグのカートが出現する。ECサイト側の開発負担はゼロ—この手軽さで一気にショップ数が拡大し、流通額が上がり始めた。
BIZのメカニズムはこうだ。ECサイトの商品ページにアクセスしたユーザーのIPアドレスから所在国を判定し、その国への配送が可能な場合に購入ボタンを表示する。ボタンをクリックすると、ECサイトとは別のサーバ—ジグザグの代理購入サーバ—が提供する購入ページに商品情報が転送される。ECサイト上での購入体験を保ちつつ、越境ECに必要な機能を外部サーバに切り出している。
所在国の判定、配送可否による表示制御、異なるサーバへの転送—個々の技術要素をみれば、これが特許になるのだろうか?そう感じる人も多いだろう。しかし、これらを未解決の課題解決に向けて組み合わせることで生まれるユーザー体験が発明なのだ。
明細書の射程
注目すべきは、この特許が出願された2015年8月の時点で、WorldShopping BIZはまだ存在しなかったということだ。出願時に想定されていたのはWorldshopping.globalのモデルだった。しかし、明細書には、ボタン、バナー、チャットウィンドウなど、ECサイトから代理購入サーバにデータを転送する多様なバリエーションが書き込まれていた。2017年のピボットでBIZモデルが生まれたとき、その仕組みは既に明細書の中にあった。スタートアップの事業はピボットする。だからこそ、特許出願の時点でどれだけ幅広く未来のバリエーションを書き込めるか、そこに魂を込める必要がある。
ジグザグはその後、取扱高を年平均40%超のペースで伸ばし、2024年5月期には売上高11億円、取扱高49.9億円に達し、2025年3月、東京証券取引所グロース市場に上場した。WorldShopping BIZのUXを支える発明は、米国においても権利化されている。
エンジェル投資の覚悟
なぜ、私はこの特許にそこまで注力することができたのか。実は特許出願の16日前、私はエンジェルラウンドでジグザグの株式を取得していた。弁理士報酬を受け取る立場ではなく、自ら出資して株主になった上で明細書を書いた。事業の成否が自分の投資の成否でもあるとき、明細書に書くバリエーションの一つひとつが、他人事ではなくなる。
三つの仕事を振り返ると、第2章で述べた参入障壁・武器・信頼—特許権の3つの機能が、それぞれ働いた。ソラコムでは、設計思想を抽象化した請求項が国境を超える参入障壁となった。カケハシでは、製品化前に確保したビジネスモデル特許が将来の武器となった。ジグザグでは、明細書に書き込んだ未来のバリエーションがピボットを乗り越え、ベンチャーキャピタルの信頼を勝ち取る材料となった。
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特許出願は、資金調達と同じように不可逆の行為だ。その時にしかできない出願がある。その書き方が事業のその後を左右する。しかし、そのためには依頼者と弁理士が同じ目的を目指し、特許出願を優先度の高いものとして捉える必要がある。
ジグザグへの出資は、この問題に正面から向き合うきっかけでもあった—第4章では、スタートアップにエクイティで関わる弁理士という新たなモデルについて語る。
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「スタートアップ知財の12年」は、2013年のfreeeとの出会いを原点に、スタートアップの知財に12年以上向き合ってきた弁理士が、その実践と問いを語る連載です。
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著者
大谷 寛(Kan Otani)
弁理士 / 森田・大谷特許事務所共同設立者
2013年よりスタートアップのための知財形成に取り組み、freee、ソラコム、ジグザグのIPO企業を含む多数のスタートアップの特許出願を手がける。2025年に森田・大谷特許事務所を設立し、生成AIを活用した知財実務の高度化に注力している。慶應義塾大学理工学部卒、ハーバード大学大学院修士(応用物理学)。2020年第1回IP BASE AWARDグランプリ受賞。IAM及びManaging IP選出の日本を代表する特許専門家。